趙姫(趙母)
趙母は娘を嫁がせる。娘が家を去るに臨み、(母が)誡めて言う、「慎んで良いことをしてはなりません」と。娘が言う、「良いことをしないなら、悪いことをしたらよいのですか?」と。母が言う、「良いことでさえしてはいけないのに、悪いことなど(言うまでもなく、やってはいけません)」 

『列女伝』いわく、趙姫は桐鄉令の東郡の虞韙(グイ)の妻で潁川の趙氏の娘である。才芸があり〔1〕博識だった。虞韙が亡くなると文皇帝(孫権)〔2〕がその文才を敬愛して後宮へ入れた。
孫権は自ら公孫淵の征伐をしたいと思ったおり、趙姫が上疏して諌めた〔3〕
のちに趙姫は『列女伝』〔4〕の注解を付け、その注は趙母注〔5〕と号した。賦を作ること数十万の言葉に至った。赤烏6年(243年)に亡くなった。

『淮南子』いわく、「娘を嫁ぎにゆかせる者がいた。娘に(結婚後の誡めを)教えて言う、『お前がよかれと思ってする善いことは、人の妬みを買うだろう』と。(娘が)答えて言う、『それなら善くないことをするべきですか?』と。(親が)言う、『善いことさえしてはいけないのに、善くないことなどできようか』と〔6〕

景献羊皇后(羊徽瑜)いわく、「この言葉(趙姫母子の問答)は鄙俗といえど、世の人の教えとすべきです」〔7〕

【世說新語賢媛第19】

〔1〕『拾遺記』及び『歴代名画記』によると孫権には趙夫人という兄が河南出身の書画に巧みな夫人がいた。潁川と河南は隣接した地域であり、趙姫と同じ姓かつ才女である。この趙夫人は趙姫のことを指すか、あるいはモデルか。
〔2〕箋疏による李慈銘はこう訂正する。「案文皇帝當作大皇帝,謂孫權也。」=文皇帝は誤りで大皇帝が正しい。すなわち孫権のことを意味する。
〔3〕同様の諫言を陸遜・陸瑁兄弟も行ない、孫権は思い留まった。
〔4〕おそらく劉向の『列女伝』。趙姫自身の伝記は王異等の三国志女性をまとめた皇甫謐の『列女伝』に載るものか。
〔5〕箋疏による李慈銘の補足。「孫氏志祖曰:『後漢書皇后紀論、文選李善注言列女傳有虞貞節注,蓋即趙母注也。』」≒李善が『文選』の注で述べた「列女伝にある虞貞節注」とは、すなわち趙母注のことだ。該当の記述は『文選』巻49の【後漢書皇后紀論】「故康王晚朝,關雎作諷;宣后晏起,姜氏請諐」に対する注釈の「虞貞節曰:其夫人晏出,故作關雎之歌以感誨之」
〔6〕劉孝標注の『淮南子』引用文は「人有嫁其女而教之者,曰:『爾為善,善人疾之。』對曰:『然則當為不善乎?』曰:『善尚不可為,而況不善乎?』」だが、『淮南子』【說山訓】中の同文は「人有嫁其女而教之曰:『女行矣,慎無為善!』曰:『不為善,將為不善邪?』應之曰:『善且由弗為,況不善呼?』」。『淮南子』【說山訓】の問答はより趙姫の言葉に近い。
〔7〕箋疏による嘉錫の案。「敦煌本古類書殘本第二種貞烈部首引獻皇后語二條,羊皇后語一條。羅振玉跋謂即晉景獻羊后是也。其第四條曰:「昔人有女將嫁,其父誡之曰:『慎勿立善名。』女曰:『當作惡,可乎?』父曰:『善名尚不可立,而況於惡乎?』后聞之曰:『善哉!訓言「鳥惡網羅,人惡勝己」,豈虛也哉?』」意與此同而文異。其語較趙母及淮南子尤為明晰。蓋古之教女者之意,特不願其遇事表暴,斤斤於為善之名,以招人之妒嫉,而非禁之使不為善也。其所謂后聞之者,亦即羊皇后,與孝標所引,當是同出一篇,而去取各異,故不同耳。」≒敦煌本には献皇后の言葉2つと羊皇后の言葉1つがあり、(近代の考古学者の)羅振玉はこれらを晋の景献羊后だとする。
その第4條いわく、「昔、まさに娘を嫁ぎにゆかせる者がいた。その娘の父が戒めて言う、『慎んで善き名声を立ててはならない』と。娘が言う、『では悪い事をするべきですか』と。父が言う、『善き名声さえ立ててはならないのに、どうして悪いことなど』と。后がこの話を聞いてこう言った、「これは良い教訓です。鳥は捕捉網を嫌い、人は己に勝つことを嫌う。どうして(この話が)虚言だと言えましょう」
箋疏原文の引用元は【国学导航−賢媛第十九】ttp://www.guoxue123.com/zhibu/0401/00ssxyjs/19.htm

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