孫呉后妃
孫権夫人 孫登夫人 孫和夫人 孫休夫人 孫亮夫人 孫晧夫人
呉后 |
ごこう |
孫鍾の子・孫堅の正室。呉景(?-203)の姉。孫策,孫権,孫翊,孫匡と一女の母。呉郡の人。 |
孫破虜呉夫人 |
||
孫堅妾 |
そんけんめかけ |
孫堅(155-191)の妾。孫朗の母。 |
丁氏 |
||
しゃふじん |
謝煚(シャケイ)の娘。謝承の姉。孫権の初めの正室。会稽山陰の人。 |
|
謝妃(太平御覧) |
||
徐夫人 |
じょふじん |
孫堅の妹の子・徐琨(ジョコン)の娘。初めは陸康(126-195)の孫・陸尚に嫁ぐ。 |
徐妃(太平御覧) |
||
歩夫人 |
ほふじん |
孫権の側室。孫魯班と魯育(?-255)の母。魯班は悪名高かった。歩隲の同族。238年に亡くなり、
皇后と追号される。 |
歩皇后 |
||
王夫人 |
おうふじん |
琅邪の出身。王盧九の娘。孫権の夫人。三男・孫和(224-253)の母。 |
大懿皇后、王后(太平御覧) |
||
王夫人 |
おうふじん |
南陽の出身。孫権の夫人。六男・孫休(235-264)の母。 |
敬懐皇后、王后(太平御覧) |
||
潘皇后 |
はんこうごう |
孫権の皇后。孫亮(243-260)字子明の母。唯一生存中に皇后の座についた孫権の夫人。 |
潘夫人、神女(拾遺記) |
||
袁夫人 |
袁術の娘。孫権の夫人。節度と品行を重んじた。
子はなく、孫権が他の側妾の子を養わせたものの皆夭折した。 |
|
袁女、袁雅、袁姫 |
||
孫母 |
そんぼ |
孫権の長子・孫登の母。身分が低かった事以外は詳細不明。 |
孫姫 |
||
謝姫 |
しゃき |
姫は官名。孫権の側室。孫権の四男・孫覇(?-250)の母。孫壹の祖母。 |
― |
||
仲姫 |
ちゅうき |
姫は官名。孫権の五男・孫奮(?-270)字子揚(子陽)の母。没後、豫章に葬られる。 |
― |
||
趙夫人 |
孫権の夫人。河南出身の趙達の妹。書画と刺繍を得意とした。『拾遺記』に載る。 |
|
趙姫 |
||
翟妃 |
てきひ |
孫権の妃。海寧市長安に墓がある。『海寧州志稿』に記載。 |
呉王権妃 |
||
孫権の長子・孫登(209-241)の妻。芮玄字文表の娘。丹楊の人。 |
||
淑媛 |
||
周妃 |
しゅうひ |
周瑜(175-210)の娘。孫権の長子・孫登の妻。黄武四年(225年)に結婚する。 |
周徹(『江西吉安周氏族譜』) |
||
ちょうひ |
張昭の長男・張承(178-244)の娘。孫権の三男・孫和(224-253)の正室。 |
|
― |
||
何姫 |
かき |
姫は官名。何遂の娘。孫権の三男・孫和の妾。孫晧(242-285)の母。丹楊郡句容の人。 孫権に見出されて孫和に嫁ぐ。孫和が亡くなった後、遺児を育てるため生き残った。 のちに孫晧が皇帝となり何一族は権勢をふるい、民間での評判は悪かった。 |
昭献皇后、升平宮 |
||
鄧夫人 |
とうふじん |
孫和の寵姫。孫和が誤って夫人の頬を傷つけ、自ら傷口をなめた後に医者に指示して治療させた。 |
― |
||
しゅこうごう |
朱拠(194-250)と孫魯育(?-255)の娘。孫権の六男・孫休(235-264)の皇后。 |
|
朱皇太后、朱妃、景皇后 |
||
ぜんこうごう |
全尚(?-258)の娘。孫権の七男・孫亮(243-260)の皇后。従祖母の孫魯班に愛される。 |
|
全恵解、全妃 |
||
朝姝 |
ちょうしゅ |
孫権の末子・孫亮の寵姫。寵姫4人はそれぞれ自身の名のついたお香を所有した。 |
― |
||
麗居 |
れいきょ |
孫権の末子・孫亮の寵姫。 |
― |
||
洛珍 |
らくちん |
孫権の末子・孫亮の寵姫。玉雲という名の櫛を持っていた。 |
洛宝 |
||
潔華 |
けつか |
孫権の末子・孫亮の寵姫。黄金の尺を持っていた。 |
― |
||
とうこうごう |
五官中郎・滕牧(滕密,?-266?)の娘。孫晧の皇后。太常・滕胤と同族。北海郡劇県の人。 |
|
滕芳蘭(建康実録) |
||
王夫人 |
おうふじん |
孫晧の夫人。建衡二年(270年)に亡くなる。 |
王左夫人 |
||
張美人 |
ちょうびじん |
美人は官名。張布(?-264)の次女。 |
張小女 |
||
張夫人 |
ちょうふじん |
張布の長女。初めは馮朝の子・馮純に嫁ぎ、のち孫晧の左夫人となる。 |
張大女、左夫人 |
16/11/30re
15/4/28up