三国以外の女性

えい

献帝劉協の伏皇后の生母。伏完には妻の弟に樊普がおり、姓は樊だったか。

袁氏

えんし

袁紹(?-202)字本初の姉妹。高幹(?-206)字元才の母。蜀郡太守・高躬の妻。汝南郡汝陽の人。

えんじょ

太傅・袁隗(?-190)の娘。張奉(激子)字公先の妻。袁隗が張奉の評判を聞いて娘を妻にする。
豪勢な嫁入りをしたが張奉は贅沢を好まず、華麗な衣服や金品を処分させてから娘を娶った。

えんじょ

太傅・袁隗(?-190)の娘。袁隗が張範字公儀の評判を聞いて娘の縁談を持ちかけたが辞退された。
張範の弟に張奉(張承)がおり、縁談のあった娘は弟の妻になったか。

えんじょ

袁術(?-199)の娘。黄猗の妻。孫権(182-252)の側室・袁夫人のおそらく姉。

おうまい

王匡字公節の妹。執金吾・胡母班(?-190)字季友の妻。東平陵の人。

郭汜妻

かくしつま

郭汜の妻。夫が李傕の酒宴に誘われ帰らないことがあった。
郭汜の妻は郭汜が李傕から婢妾を貰い自分への愛情が失われるでないかと恐れ、
郭汜に李傕が毒を盛ったかのように思わせて二人を仲違いさせた。

がくじょ

商人の楽何当の娘。公孫瓉(コウソンサン)の息子の妻。
卜数師の劉緯臺、販繒の李移子と共に三人は公孫瓉とは義兄弟の仲であり、 それぞれの娘が公孫瓉の子に嫁いだ。

かじょ

琅邪相・何英の娘。高幹(?-206)字元才の曾祖父・高慎字孝甫の妻。高幹の祖父は司隶校尉・高賜。
高慎が兄の孤児5人を養育し、その行ないを何英が称賛して娘を嫁がせた。

かまい

霊帝劉宏(156-189)の何皇后の妹。張譲(135-189)の子に嫁ぐ。

何氏

かし

蜀の李密(224-287)の母。李密を産んだ半年後に夫が亡くなる。
李密が4歳の時に兄弟に無理強いされて再婚し、李密を手放す。

かんじょ

蒼梧太守・甘公の娘。陶謙(132-194)の妻。陶謙が14歳の時に嫁ぐ。
甘公が外出した際に村の子どもたちと遊ぶ陶謙と出会い、その容貌が並々ならぬと感じた。
甘公は陶謙と話をしていたく気に入ったために娘を娶らせることにしたが、妻は怒って理由を問い詰めた。
甘公は「陶謙には偉大な志がある。必ず大物になるぞ」と答えた。のちに陶謙は徐州刺史になる。

かんじょ

韓遂(?-215)字文約の末娘。閻行字彦明の妻。金城郡の人。
曹操に閻行への不審を抱かせるため、韓遂が閻行との縁組を無理強いした。

少女(三国志巻15)

きょう

霊帝の何皇后の母。大将軍・何進の義母。姓不明。
初め朱氏に嫁いで苗を生み、次に何真に嫁いで何后を生んだ。中平六年(189年)に一家もろとも殺害される。

舞陽君、朱興、何興

厳氏

げんし

呂布の妻。下邳(カヒ)戦の際に夫が出陣しようとするのを引き留め、敗戦の要因を作る。

こうじょ

侯太守の娘。公孫瓉(コウソンサン)の妻。
建安四年(199年)三月に公孫瓉が袁紹に敗戦し、一家心中を図って亡くなる。

公孫

こうそんじょ

遼東太守・公孫度(150-204)字昇済の一族の娘。夫余国国王・尉仇台に嫁ぐ。遼東の人。

宗女

呉氏

ごし

陳悝の妻。下邳の人。 後漢末期の争乱に遭い、夫と共に東城に移り住んでいた。
東城令の戚奇が北の呂布の味方に付きたいと思い、城を焼いて人々を捕まえた。
戚奇は呉氏の才色兼備の噂を聞いて陳悝を殺害し、呉氏は戚奇に向かって戚奇の非道をなじって自殺した。

顧昭君

こしょうくん

昭君は字。顧文宣の娘。呉の沈伯陽の妻。早くに寡婦となり子はなく、亡夫に礼を尽くして供養をした。
父の文宣が陰で昭君を他家へ嫁がせようとする話があり、それを聞いた義母が哭泣した。
そのため昭君は刀で髪を切り両耳を切って再嫁しない意志を明らかにした。

さいこ

蔡瑁字徳珪のおば。蔡諷の姉。太尉・張温(?-191)字伯慎に嫁ぐ。

蔡氏

さいし

蔡諷の長女。蔡瑁の姉。黄承彦の妻。

蔡長女(襄陽耆舊記)

蔡氏

さいし

蔡諷の娘。蔡瑁の姉。劉表(142?-208)字景升の後妻。
姪が劉琮の妻となったため、劉琮を劉表の跡継ぎに推す。演義では蔡瑁の妹で劉琮の実母とされる。

蔡小女(襄陽耆舊記)

蔡氏

さいし

蔡諷の娘。劉表の後妻の妹。
劉表が桓階字伯緒(伯序)を従事祭酒に任命した時、妻の妹を嫁がせようとした。
桓階はすでに妻がいることを理由に拒否し、従事祭酒の任も辞退した。

さいめい

劉琮の妻。蔡瑁の姉の姪。

荀采

じゅんさい

字女荀。荀爽(128-190)字慈明の娘。陰瑜の妻。潁川郡潁陰の人。
17歳で陰瑜に嫁ぎ、19歳で娘を生み夫が早死する。
実家に再婚を迫られ、同郡の郭奕と婚姻する際に首を吊って自殺した。

荀女荀

鄒氏

すうし

張繍(?-207)の族父・張済(?-196)の妻。宛城にて曹操の妾となったが、その後の消息は不 明。

たいじょ

沛国の戴玄世の娘。公孫去病の妻。嫁いで長年経っても子は生まれなかった。
夫に言う、「私が不肖なばかりに、頭巾や櫛を頂いても長年後継ぎが生まれません。『礼記』によれば
(妻と離婚できる理由に)七出があります。どうかご決断ください」と。夫は申し出は断った。
再度離婚を勧めたが夫は拒み、亡くなった。両親は再婚を考えたが、娘は刀で鼻を切り、郡はその貞節を表彰した。

趙媛姜

ちょうえんきょう

媛姜は字。犍為郡の盛道の妻。同郡資中の人。盛翔の母。
建安五年(200年)、益州で混乱が起きた時に夫が挙兵したが失敗して投獄される。
死罪になる前に夫と子を逃がし、見張りを騙し通してついに殺された。
のちに大赦があり、盛道父子は許されて帰郷できた。盛道は妻の義理を重んじて再婚はしなかった。

張芝

ちょうし

字李張。陳仲の妻。張叔明の妹。安定の人。14歳で陳仲に嫁ぎ、ほどなくして寡婦となる。90歳まで生きた。
兄が従軍している間、芝と二人の兄嫁が賊に捕まると兄嫁は自刃したが芝は生き残った。
将軍耿弇(コウエン,3-58)に救出され耿弇が馬に乗せようとすると「将軍の服を汚すわけにはいきません」と断った。

張李張(太平御覧
巻440引『列女伝』)

ちょうじょ

張魯の娘。張魯が妻子を失った馬超に嫁がせようとした。
「馬超は身内を愛さない奴だ」という周囲の忠告により沙汰止みになる。のちの曹宇の妻か。

琪瑛

陳氏

ちんし

劉表の前妻。長子・劉琦を産む。

ちんじょ

陳宮字公台の娘。東郡の人。
父が処刑された後、曹操に保護され、縁付けしてもらった。

陳母

ちんぼ

陳宮の母。陳宮の死後、曹操によって亡くなるまで養われる。

ていじょ

中常侍・程璜の娘。陽球(?-179)字方正の妻。
程璜の養女は河間王の宗室で劉倏の弟・劉郃に嫁いだ。

とうじょ

董卓(?-192)の娘。牛輔の妻。

(呂布与貂蝉)

董白

とうはく

董卓の孫娘。董卓の台頭により、成人する前に領地を授けられた董一族の一人。
董卓の宗族は内外を問わず皆領地を与えられ、男は封侯、女は邑君になった。

渭陽君

董母

とうぼ

董卓の母。董君雅の妻。
董卓が誅殺された時、齢90にして命乞いをしたが斬首された。

池陽君、牛氏

馬倫

ばりん

太傅・袁隗(?-190)の妻。馬融(79-166)の娘。扶風郡平陵の人。才女の姉と妹が一人ずついる。
幼少から弁術が巧みで、結婚時の袁隗との問答はすべて言い負かした。
のちに袁隗は出世し、馬倫も当時の有名人だった。
184年に63歳で亡くなったことが蔡邕作の馬倫碑に載る。

司徒公夫人
烏氏(『後漢書集解』
25中「袁安伝」注釈)

樊氏

はんし

桂陽太守・趙範の兄嫁。国一番の美女と評判が立つ。
趙雲との縁談があったが、趙雲が縁談を持ち出した趙範を怪しみ、破談となる。

雲仙、樊玉鳳、樊

ふうじょ

司隷出身の馮方の娘。袁術の妻。国一番の美貌があった。宝鑷という千金に値する宝飾品を持っていた。
戦乱を避けて揚州に逃げてきたおり、袁術の目に留まり寵愛を受ける。
袁術の夫人たちは馮氏を気に食わず「将軍は貞節な女性を好みます。
時々涙を流し憂えた様子を見せれば、寵愛は長く続きますよ」と告げた。
馮氏がその通りにし、夫人たちは馮氏を絞め殺して厠の梁に吊るした。
遺体を見た袁術は馮氏が思いを遂げられなくて自殺したのだと思い、手厚く埋葬した。

皇后(三国演義)
袁術姫(女紅余志)
馮姫

楊氏

ようし

馬超の妻。213年、馬超が冀城を攻め落とし、韋康らを降伏させた。
馬超が和平の約束を破って韋康を殺害した後、韋康配下らの本音を探るため楊氏が王異と会談する。
王異たちに馬超に背く意志はないと楊氏は判断し、馬超も妻の言葉を信じた。
214年7月、姜叙が鹵城で蜂起し、鎮圧に向かった馬超は冀城を締め出され、城中の妻子は趙衢と梁寛に殺される。

、楊
玉鳳

ようじょ

楊琦(奇)字公挺(または子奇)の娘。李傕(?-198)字稚然の妻。弘農華陰の人。 李式の母か。
李式の母は式を可愛がり、郭汜が子を人質に求めたが拒み、代わりに娘が人質に出された。

りこ

李膺(?-169)字元礼の姑。鍾繇の曾祖父・鍾皓(87-155)字季明の兄の妻。鍾覲の母。
鍾覲は李膺と同年で、膺の妹を娶った。

李氏

りし

李傕の姉妹。涼州北地郡の人。
李傕の部将・胡封(?-198)を生む。

りじょ

李傕の娘。興平二年(195年)、李傕が郭汜(?-197)との仲を保つため、人質に差し出す。

劉娥

りゅうが

沛国の劉景賓の娘。梁の夏文生の妻。一女を生んで寡婦となり、娥は再婚しないと誓った。
父は同郡の衡氏に嫁がせようとし、無理に縁談をさせた。娥は衡氏と問答した後で衡家を出た。
父は次に臨雎の倪氏に嫁がせようとしたが娥は刀で耳と鼻を切り、終身貞節を守った。

劉氏

りゅうし

袁紹の妻。三男の袁尚を可愛がり、夫に袁尚を後継ぎにするように求めた。
袁紹の死後に夫の側妾五人を殺害し、あの世で夫に会っても妾だとわからせぬよう顔を損壊させた。

袁夫人(魏略)

劉氏

りゅうし

劉表(142-208)字景升の姉妹。張允の母。山陽郡高平県の人。

りゅうじょ

後漢王朝の公主。呂布からの使者を得た袁術が秦宜禄の後妻にさせた。

りゅうじょ

劉勲字子台の娘。琅邪の人。
腫物を患い、20歳の時に華佗(145?-208)字元化の治療を受ける。

りゅうじょ

劉表の娘。王凱の妻。王業字長緒の母。王宏字正宗と王弼(226-249)字輔嗣の祖母。
父が一度王粲に嫁がせようとしたものの見た目が気に入らず、風貌が立派な王凱と結婚した。
初平三年(192年)に王粲と王凱は長安を離れて劉表の元に来たため、192年頃に婚姻したか。

劉桃樹

りゅうとうじゅ

桃樹は字。下邳の劉方の娘。丹陽の華穆の妻。息子を一人生んだ後夫が早世する。
家族が呉の丁と縁談を進めようとするのを聞くと刀で耳を切り落とした貞女。

りょじょ

呂布の娘。袁術の息子と婚姻を結ぼうとしたが、失敗に終わる。

ページ上部へ
女性一覧目次へ戻る
トップへ戻る

15/4/28up

inserted by FC2 system