蜀漢后妃

甘后

かんこう

劉備の妾。劉禅(207-271)の母。沛国の人。劉備が小沛に住んでいた頃(196年)に妾となる。
劉備の正室がたびたび亡くなったため、奥向きのことを取り仕切った。
長坂での逃亡戦のとき、劉備に子と共に棄てられ趙雲の保護を受けて生還する。
亡くなると南郡に葬られる。章武二年(222年)に皇思夫人と追号され、墓は蜀へ移された。

皇思夫人、昭烈皇后

穆后

ぼくこう

呉夙の娘。呉懿(?-237)字子遠の妹。陳留の人。早くに両親を亡くし、父の知人の劉焉(?-194)の保護を受ける。
人相見に「将来高貴な身分になる」と言われ、子の出世を期待した劉焉が劉瑁の妻にした。
劉瑁が早死し未亡人となった後、蜀の地を得た劉備に群臣が穆后を娶るよう勧め、法正の説得により正室となる。
建安二十四年(219年)七月に劉備は漢中王を自称し、穆后を漢中王后とし、
黄初二年(221年)四月に劉備は帝を自称し、五月に穆后を皇后とした。
章武三年(223年)四月に劉備は亡くなり、五月に劉禅が即位して穆后は皇太后となる。
延熙八年(245年)八月に没し、劉備が埋葬された恵陵に合葬された。
『左台呉氏』の家系図では呉懿の生年を183年とする。

(左台呉氏,
永興呉氏など家譜)
呉夫人、穆皇后
漢中王后
皇太后、長楽宮
呉太后(三国演義)

劉夫人

りゅうふじん

劉備の正室。
建安元年(196年)に呂布が劉備不在の隙を狙って下邳を襲撃したさい、捕虜となる。

先主妻(蜀志麋竺伝)

麋夫人

びふじん

麋竺の妹。劉備の妻。劉備が袁術防御のため軍を広陵郡の海西に移動させたおり、劉備の夫人となる。
劉備が孫夫人を娶る209年までに亡くなる。

皇太后(三国演義)
淑鈴、麋、 麋

孫夫人

そんふじん

孫堅の娘。孫権の妹。孫権が劉備との仲を良好にしようとし、209年に孫夫人を劉備に嫁がせた。
機敏で剛胆な性格は兄たちに似た気風があり、自室に武装した侍女を百人余り立たせ、劉備に恐れを抱かせた。
夫人は孫権の妹であることを盾に傲慢に振舞い、呉から連れてきた兵や官吏を率いて
犯罪を働いたため、趙雲がお目付け役として奥向きのことを取り締まった。
建安十九年(214年)に劉備が益州を得た後、呉へ帰国する。その後の消息は不明。

梟姫(三国演義)
、孫尚香、 孫仁献
弓腰姫
呉妹君(吉川三国志)

劉母

りゅうぼ

劉備の妻。劉禅の異母弟・劉永字公寿の母。永の孫・劉玄の曾祖母。
劉永は章武元年(221年)に魯王となり建興八年(230年)に甘陵王に改封された。
永は奸臣黄皓を憎み、そのために黄皓の讒言を受けて十数年間朝廷への参内を許されなかった。
咸熙元年(264年)に洛陽へ移住し奉車都尉になり郷侯に封じられた。

劉母

りゅうぼ

劉備の妻。劉禅と劉永の異母弟・劉理字奉孝の母。哀王・劉胤と武邑侯・劉輯の祖母。殤王・劉承の曾祖母。
劉理は章武元年に梁王となり建興八年に安平王に改封され、延熙七年(244年)に亡くなり悼王と諡される。
子の胤が後を継いだが十九年(256年)に亡くなり、後継の孫の承も二十年に早世する。
景耀四年(261年)に劉胤の兄弟の劉輯が後を継ぎ、咸熙元年(264年)に洛陽へ移り劉永同様の待遇を受けた。

張后

だいちょうこう

張飛の長女。小張后の姉。劉禅(207-271)の皇后。章武元年(221年)に太子妃として宮中に入る。
建興元年(223年)に立后し、 建興十五年(237)逝去する。南陵に埋葬された。

敬哀皇后、張元妃

張后

しょうちょうこう

張飛の娘。大張后の妹。姉の没後すぐに貴人として後宮に入った。
延熙元年(238年)正月に劉禅の皇后になる。咸熙元年(264年)に蜀滅亡後、劉禅に随い洛陽へ移りすむ。
降伏後の劉禅は安楽公と称された。

張貴人、安楽公夫人

王貴人

おうきじん

貴人は官名。劉禅の側室。元は大張后の侍女。皇太子・劉璿(リュウセン,224-264)字文衡の母。
劉璿は延熙元年(238年)正月に皇太子となる。劉瑤、劉琮らの母?

王姫

李昭儀

りしょうぎ

昭儀は官名。劉禅の側室。
蜀が滅亡し、兵の妻にさせられるところ「私は屈辱を二重三重には受けられない」と言って拒み、自害する。

李姫

陶敬安

とうけいあん

敬安は諱。劉禅の妻。『纂輯重修劉氏宗譜』の漢朝譜に記載。211年生まれで253年没。
没後は同じ劉禅の妻で同年に没した鄭氏と共に石壁洞に葬られた。
同書は劉禅の母を糜氏、劉理の母を甘氏とするなどと史書と異なる記録が載るため、信憑性は低い。

ばじょ

馬超の娘。劉禅の異母弟・劉理の妻。
馬超が劉備傘下へ加わった後で生まれた娘か。

費妃

ひひ

費禕(ヒイ)の長女。劉禅の皇太子・劉璿の妃。

劉諶妻

りゅうじんつま

劉禅の子・劉諶の妻。
劉禅が劉諶の進言を聞き入れず晋へ降伏したため、劉諶は妻子を殺したのち自刃した。

崔夫人(三国演義)

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