刑憲女 |
けいけんじょ |
河南郡緱氏県の人。許蘇氏に死後嫁ぐ。出典は『河南缑氏中華里許蘇阿銅墓』 |
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曹娥 |
そうが |
覡の曹盱(ソウク)の娘。会稽郡上虞県の人。130年生まれ。 |
慧感霊孝昭順純懿夫人
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宋夫人 |
そうふじん |
匈奴中郎将・王柔字叔優の妻。柔の夫人には李氏もいる。出典は『華芳墓志』 |
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馬姜 | ばきょう |
伏波将軍・馬援(前14-49)の娘。膠東剛侯・賈復(9-55)の五男・賈武仲の妻。明徳馬皇后(40-79)の姉。 |
馬夫人 |
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伯興妻 | はくきょうつま |
熹平三年(174年)に墓碑が建てられる。出典は『伯興妻残碑』別名『熹平三年残碑』。碑文は部分的に破損。 |
〔阝+王〕 |
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馬倫 | 司徒・袁隗(?-190)の妻。馬融(79-166)の娘。曾祖父の弟が馬援。扶風郡平陵の人。弁舌優れる才女。 |
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司徒公夫人 |
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羅鳳 | らほう |
宋の洪適撰『隷続』巻20に「漢貞女羅鳳墓」と記録あり。 |
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李夫人 | りふじん |
雁門太守・王柔の妻。王沈(?-266)字処道の祖母。王機の母。 |
雁門太夫人(『通典』102) |
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李翊夫人 | りよくふじん |
広漢属国侯・李翊(120-173)字輔國の妻。姓名不明。 |
廣漢屬國侯夫人 |
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郭夫人 |
かくふじん |
王柔の子で東郡大守・王機字産平の妻。機の夫人には鮑氏もいる。出典は『華芳墓志』 |
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皇女 |
こうじょ |
皇女は字。霊帝時の司空・宗俱字伯儷の外孫女。俱は南陽安衆の人で宗均(?-76)の族子・宗意(?-
107)の孫。 |
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孫中女 |
そんちゅうじょ |
建徳亭侯・孫邕の次女。晋の任城大守・羊氏の妻。済南の人。子の羊迅が墓碑を建てる。 |
孫夫人(晉任城太守 |
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張夫人 |
ちょうふじん |
光禄勲・文和字叔懌の妻。文和の夫人には解氏もいる。出典は『華芳墓志』 |
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滕夫人 |
とうふじん |
太尉・華歆(157-231)の妻。出典は『華芳墓志』 |
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武夫人 |
ぶふじん |
魏の衛尉・武周字伯南の娘。尚書粛成伯・劉芬(炎、邠)字含元(令元)の妻。沛國竹邑の人。 |
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伏氏 |
ふくし |
安楽郷侯・桓階の妻。温和で国一番の美貌があった。出典は『任城太守羊君夫人孫氏碑』 |
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姜姑 |
きょうこ |
姜維(202-264)の妹。四川省蘆山県城北街には姜維の妹を祀った県主祠があった。 |
県主 |
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毛夫人 |
もうふじん |
蒋琬(?-246)字公琰の妻。斌、顕、贇の三子を生む。出典は『安陽侯一品夫人毛氏墓志』 |
成国夫人 |
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李氏 |
りし |
馬邈の妻。平武県南壩鎮に『漢守将馬邈忠義妻李氏故里碑』があった。 |
李夫人 |
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曹氏 |
そうし |
魯粛(172-217)字子敬の妻。魯粛の四男・魯乾貞の実母。魯粛の妻には程氏と孫氏もいた。 |
皇封詰命夫人、魯母 |
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衛琇 |
えいしゅう |
字恵瑛。衛覬(?-229)字伯覦(伯儒)・衛寔字叔始の娘。王浚の二番目の正妻。出典は『華芳墓志』 |
中夫人、衛惠瑛 |
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王氏 |
おうし |
司馬防の四男で司馬懿の弟・司馬馗の妻。 |
皇妣大妃王氏、王純 |
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王女 |
おうじょ | 領軍将軍長史・荀岳(246-295)の長男・荀隠(277-?)字嗚鶴の妻。
琅耶の王士瑋の娘。 |
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華苕 |
かしょう |
字宣華。荀勗(?-289)の子・荀組(258-322)字泰章の妻。華歆の曾孫娘。華芳の姉。出典は『華芳墓志』 |
華宣華 |
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華芳 |
かほう |
字敬華。王浚の三番目の妻。華歆の曾孫娘。出典は『華芳墓志』 |
華敬華 |
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管洛 |
かんらく |
晋の待詔中郎将・徐君の妻。代郡の人。字は勝か滕。出典は『徐君夫人菅氏之墓碑』 |
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蔡夫人 |
さいふじん |
征東将軍軍司・劉韜字泰伯の妻。沛国の人。出典は『征東軍司劉韜墓志』 |
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士孫松 |
しそんしょう |
字世蘭。翊軍府君の娘。傅嘏(フカ,209-255)の孫で傅祗(245-312)の子・傅宣の妻。扶風郡の人。 |
士孫世蘭、士孫命婦 |
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支伯姫 |
しはくき |
安文明の妻。永康元年(300年)2月21日に亡くなった。 |
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荀柔 |
じゅんじゅう |
字徽音。荀岳(246-295)の長女。楽陵の石庶祖の妻。276年生まれ。穎陰の人。 |
荀徽音 |
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荀夫人 |
じゅんふじん |
王沈(?-266)字処道の妻。潁川の人。出典は『華芳墓志』 |
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徐義 |
じょぎ |
賈南風(256-300)と賈午(260-300)の乳母。司馬炎の夫人。城陽東武城の人。221年生まれ。 |
徐中才人,徐良人, |
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諸葛男姉 |
しょかつだんし |
平陽郷侯・諸葛沖の娘。司馬炎の寵姫・諸葛婉の姉妹。琅耶陽都の人。 大尉・石鑒(?-294)の子・石尠に嫁ぐ。出典は『晋城陽簡侯石尠墓志』 |
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成大女 |
せいだいじょ |
処士の成晃(232-291)の娘。陽平の人。処士は宮仕えしなかった者の意。 |
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石好 |
せきこう |
劉長明の妻。出典は『劉長明妻石好墓』 |
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石令修 |
せきれいしゅう |
令修は字。石尠の娘。黄門侍郎で江安侯かつ潁川出身の陳世范に嫁ぐ。出典は『晋城陽簡侯石尠墓志』 |
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孫夫人 |
そんふじん |
王浚(252-314)の始めの正妻・文世暉の母。文猗の妻。義陽の人。出典は『華芳墓志』 |
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趙夫人 | ちょうふじん |
詳細不明。泰始四年(268年)七月三日に墓碑が作られる。河南洛陽で出土。出典は『夫人天水趙氏墓碑』 |
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翟氏 |
てきし |
司馬炎の側室・左芬の兄左思の妻。出典は『左芬墓志』 |
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伏氏 |
ふくし |
大司農・裴祇(227-293)の母あるいは前妻。東莞東武の人。出典は『大司農關中侯裴祇墓誌』 |
大夫人 |
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文粲 |
ぶんさん |
字世暉。文猗の娘。王浚(252-314)の始めの正妻。済陰の人。浚との間に三女をもうけ、24歳で亡くなる。 |
文榮、文世暉 |
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劉簡訓 |
りゅうかんくん |
簡訓は字。荀岳(246-295)の妻。東莱の劉仲雄の娘。出典は『荀岳曁妻劉簡訓墓誌』 |
劉息 |
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劉貴華 |
りゅうきか |
貴華は字。昌安県侯・石鑒(?-294)字林伯の三番目の孫・石定(280-307)の妻。沛国相の人。 |
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劉夫人 |
りゅうふじん |
羊祜(221-278)の妻。呉国の人。 |
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劉夫人 |
りゅうふじん |
鄭泰の孫かつ鄭袤の三男で大司農・鄭舒の妻。城陽黔陬の人。出典は『大司農鄭舒夫人劉氏墓誌』 |
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