晋の皇族と外戚
司馬師娘 司馬昭外戚 司馬炎外戚 司馬炎娘 司馬衷外戚 司馬衷娘

諸葛太妃

しょかつたいひ

太妃は尊称。諸葛誕の娘。諸葛靚の姉。
司馬懿の五子・司馬伷の妻。司馬伷の次子・司馬澹(?-311)と司馬繇の母。

臧氏

ぞうし

司馬懿の七子・司馬駿の妻。新野公・司馬歆(?-303)の母。
歆は孝行息子で、母が亡くなると通例以上に礼を尽くして喪に服した。

臧太妃

まんじょ

満寵の娘。満偉の妹。司馬昭の弟・司馬幹の妻。

幹妃(魏志26)、満妃

司馬

しばじょ

司馬懿の娘。荀霬の妻。司馬昭の妹。
潘岳(247-300)が『南陽長公主誄』を作る。

南陽公主、仁姑,慈母(誄)

司馬

しばじょ

司馬懿の娘。杜預の妻。『陳書』では次女と記録。泰始年間中に公主を追贈される。

高陸公主、高陵宣公主

さいじょ

蔡邕の娘。羊続の次男で上黨太守・羊衜の後妻。羊徽瑜(214-278)、羊承、羊祜の母。蔡琰自身か姉妹。
『後漢書』列女伝は班昭と馬倫の姉妹に触れるが文姫にはなく、『悲憤詩』には家族が全滅した様子が詠まれる。
先妻孔融の娘の子・羊発と羊承が病にかかった時、実子を見捨てて養子を看病した賢婦。
249年に夏侯覇が蜀へ亡命した後に没する。没後、皇后の母として穆と諡された。

濟陽縣君

楊氏

ようし

南陽太守・楊俊(?-222)の孫娘。司馬馗の次男で彭城穆王司馬権の弟・司馬泰(?-299)の妻。
東海孝獻王・司馬越(?-311)字元超の母。汝陰太守・楊覽と尚書・楊猗の姉妹。

司馬

しばこ

司馬越のおば。司馬懿の弟・司馬馗の娘。司馬泰の姉妹。周穆の母。河内郡温県の人。

司馬

しばじょ

司馬師と夏侯徽の娘。平原侯・甄徳の妻。5人姉妹のうちの一人。
早死し、その後司馬昭の娘が甄徳へ嫁ぐ。

司馬

しばじょ

司馬昭の娘。甄徳の後妻。

京兆長公主、長広公主

司馬

しばじょ

司馬昭の弟・汝南王司馬亮(?-291)の娘。裴楷の子で散騎侍郎・裴輿の妻。

裴妃

はいひ

高密王司馬泰(?-299)の子・司馬越(?-311)の妻。

楊氏

ようし

司徒・王朗の夫人。
司馬炎により従母の鄭、劉と共に郷君に封ぜられ、食邑五百戸を与えられた。

楊夫人

夏侯氏

かこうし

司徒・王朗の後妻。王元姫の継祖母。
太康七年(286年)に司馬炎により栄陽郷君に追尊される。

栄陽郷君
夏氏(太平御覧)

羊氏

ようし

王粛の妻。泰始三年(267年)に追号される。
泰山の羊一族の出か不明。出自を記録されなかったため、違う可能性が高い。

蘭陵景侯夫人、平陽靖君

おうじょ

王粛の娘。蒯良の子・蒯鈞の妻。王元姫の妹。
孫秀(?-302?)に嫁ぐ娘を生む。

毌丘氏

かんきゅうし

毌丘倹の孫娘。王粛の子で王元姫の弟・王虔の前妻。

かいじょ

南陽太守・蒯鈞の娘。王粛の外孫。司馬炎の母方の従妹。孫匡の孫・孫秀(?-302?)の妻。襄陽の人。
嫉妬を起こして孫秀を「貉子(北人が使う呉人の蔑称」と罵り、怒った孫秀が家を出て行き帰らなかった。
暴言を吐いたことを悔やみ司馬炎に助けを乞うと、司馬炎が孫秀を説得して夫婦の仲を取り持った。

蒯夫人(芸文類聚,
太平御覧)

趙氏

ちょうし

楊文宗の先妻。武元皇后楊艶の母。趙俊と趙虞の姉妹。天水の人。早くに亡くなる。

県君

段氏

だんし

楊文宗の後妻。楊艶の継母。

郷君

しゅうし

諸葛婉の兄弟・諸葛玫の妻。周穆の姉。

龐氏

ほうし

楊駿(?-291)の妻。武悼皇后楊芷(258-291)の母。

高都君

ようじょ

楊駿の娘。楊芷の姉妹。裴楷(237-291)字叔則の次男・裴瓚字國寶の妻。弘農華陰の人。

ようじょ

楊駿の娘。楊芷の姉妹。散騎常侍・段広の母。弘農華陰の人。

ようじょ

楊駿の娘。楊芷の姉妹。弘農華陰の人。
楊駿が鄭默(213-280)子・豫に娘を嫁がせようとしたが、鄭默が漢の雋不疑の逸話を提示して辞退した。

司馬

しばじょ

司馬炎の娘。王惲(223-297)の次男・王濟の妻。王卓と敏陽侯・王聿の義母。
『昭明文選』卷58引く王隠『晋書』では司馬炎の姉。『太平御覽』巻152引く『晋書』では司馬炎の妹。
嫉妬深い性格で両目を失明し、終生子を生むことはなかった。

常山公主

司馬

しばじょ

司馬炎と楊艶の娘。

平陽公主

司馬

しばじょ

司馬炎と楊艶の娘。

新豐公主

司馬

しばじょ

司馬炎と楊艶の娘。

陽平公主

司馬

しばじょ

司馬炎の娘。永嘉五年(311年)の懐帝が苟晞に詔書を出し、苟晞は返事に
「広平公主と武安公主は先帝(司馬炎)が生育なさったが(匈奴の)辱めを受けてしまった」と述べた。

廣平公主

司馬

しばじょ

司馬炎と胡芳の娘。溫羨の三男・溫裕の妻。
永嘉の乱に遭い匈奴に略奪される。

武安公主

司馬

しばじょ

司馬炎の娘。衛瓘の四男・衛宣の妻。

繁昌公主

司馬

しばじょ

字脩褘。司馬炎の娘。王敦(266-324)の妻。
天下が戦乱に見舞われた際、王敦は公主が嫁ぐ時に連れてきた侍女たち
百人あまりを将兵の妻として与え、 金銀財宝を売って兵と馬を募った。

襄城公主、司馬脩褘
舞陽公主(世説新語)

司馬

しばじょ

司馬炎の娘。未婚のまま亡くなり、その死を司馬炎が悼んだ。
司馬炎の側室・左芬が誄を作る。

萬年公主

司馬

しばじょ

司馬炎の娘。盧志の子・盧諶と婚約していたが嫁ぐ前に亡くなる。

滎陽公主

司馬

しばじょ

司馬炎の娘。華廙の子・華恆の妻。

滎陽長公主

司馬

しばじょ

司馬炎の娘。王濬の孫・王粹の妻。太康十年(280年)に王粹に嫁ぐ。

潁川公主

司馬

しばじょ

字脩麗。司馬炎の娘。

靈壽公主、司馬脩麗

司馬

しばじょ

東海孝献王・司馬越(?-311)の娘。河東の賈昊の働きかけで荀晞の子に嫁ぐ。

李婉

りえん

字淑文。李豊(?-254)字安国(宣国)の娘。賈充の先妻。賈充の長女・賈褒(荃)と次女・賈裕(濬)を産む。
李豊が処刑されると賈充と離縁した。のちに禁錮が解かれ賈充の後妻・郭槐と共に賈充の正夫人になる。

李淑文、李夫人

賈褒

かほう

賈充と李婉の長女。一名を荃。賈裕の姉。司馬炎の弟の斉王・司馬攸(248-283)に嫁いだ。
李婉の禁錮が解け、父に母を迎えに行くよう妹と共に頼んだ。
しかし賈充は関中の鎮圧中だったせいで相手にされなかった。
そこで姉妹は賈充と客人たちの前に出て頭を叩き血を流し、母を迎えるよう訴えた。
賈褒は司馬攸の妃だったため人々は驚き逃げ出してしまい、賈充は甚だ恥じ入った。

賈荃(臧榮緒『晋書』)
齊獻王妃

賈裕 かゆう
賈充と李婉の次女。一名を濬。賈褒の妹。
賈充の没後、李婉の娘と郭槐の娘がどちらの母を合葬するかで揉めた。
賈南風が廃皇后となると李婉が賈充の墓に入ることに決まる。

賈濬(臧榮緒『晋書』)

郭槐

かくかい

字媛韶。一名を玉璜。太原陽曲の人。城陽太守・郭配の娘。郭准(?-255)の姪。賈充の後妻。
賈南風(256-300)、賈午(260-300)の母。257年に21歳で賈充に嫁ぐ。
嫉妬深く、息子を抱く乳母と賈充が親密な仲だと勘違いして乳母を殺すと、子は乳母を恋しがって死んだ。
司馬炎の皇后・楊艶に賄賂を渡し、美女の衛瓘の娘でなく醜女の賈南風を太子妃にさせた。
没後、皇后の母として宣と諡された。青龍五年(237年)生まれで元康六年(296年)没。

廣城君、宜城君、宣
郭玉璜(世説新語)
郭媛韶,
宜城宣君(郭槐墓志)

郭氏

かくし

郭槐の兄弟の娘。司馬伷の次子・司馬澹(?-311)字思弘の妻。賈南風の従妹。

賈午

かご

大尉・賈充と郭槐の娘。賈南風の4歳年下の妹。
韓壽の妻となり、産んだ韓謐(?-300)は賈家の跡取りとして賈謐に改姓する。

陳舞

ちんぶ

賈南風の下女。元康九年(299年)十二月、賈南風の命令で司馬遹に酒を三升飲ませようとする。
司馬遹は断るが、「なんて不孝者でしょう。天子が貴方さまに賜った酒を飲まないなんて、
酒に毒が入っているというのかしら」と難癖をつけて無理に飲ませ、泥酔させた。

承福

しょうふく

賈南風の下女。賈南風の謀略で司馬遹が泥酔する間、潘岳が偽書を作成するため承福に紙と筆を用意させた。
作成した偽の司馬遹の詔書が恵帝・司馬衷に呈されたために
司馬遹とその妃王恵風、子の虨、臧、尚はみな幽閉され、司馬衷の側室の謝玖と蒋俊は殺害された。

小婢

しゅうじょ

周穆の娘。司馬炎の子で清河王・司馬遐(273-300)字深度の妻。
遐の長男・司馬覃(295-308)の母。遐の母は陳美人。

がくじょ

楽広の娘。司馬炎の十六男・司馬穎(279-306年)字章度の妻。穎の母は程才人。

司馬

しばじょ

司馬衷と賈南風の娘。

河東公主

司馬

しばじょ

司馬衷の娘。『晉中興書』では司馬衷の四女で母は羊献容。
始めは清河公主に封じられ、未婚の時に永嘉の乱に遭い賣長城民の錢温に拾われる。
錢温の娘の下女になり辛い仕打ちを受け、東晋成立後に元帝・司馬(276-323)に訴えた。
錢父女は死罪になり、その後臨海公主に改封し、譙県の曹統に嫁いだ。

清河公主、臨海公主

司馬

しばじょ

司馬衷と賈南風の娘。

始平公主

司馬宣華

しばせんか

司馬衷と賈南風の娘。傅祗の子・傅宣の妻。
傅宣の妻には士孫松(274-302)字世蘭がいたため、 宣の後妻だったか。

弘農公主

司馬女彦

しばじょげん

司馬衷と賈南風の娘。幼少から聡明で書学を得意とし、八歳で詩経論語を暗誦した。
病に倒れ、母が公主に封じたがったが「私はまだ幼いので公主になるべきではありません」と言った。
病没して哀献皇女と諡され、長公主相当の葬儀が行われた。
盛大な埋葬であったためか、のちに張方(?-306)の兵士が洛陽で略奪を働き墓を暴かれる。

哀獻皇女

王大女

おうだいじょ

太尉・王衍(256-311)の長女。王恵風の姉。美女と評判だった。
賈南風が甥の賈謐の権勢を保つため、彼女と結婚させた。

王景風(真詰)

おうじょ

王衍の娘。裴綽の子・裴遐の妻。

田六出

でんろくしゅつ

王恵風の侍女。漁陽の人。魏の浚儀令・田諷の孫娘。整った身体と容貌、善良な心根を持っていた。
22,3歳の時に洛陽の乱に見舞われ、主人の王恵風が匈奴の虜になるのを嫌がって入水自殺する。
六出もまた「立派な方がこのようになさったのです。小人も倣いましょう」と言って河へ身を投げた。

ようじょ

東晋元帝・司馬睿(276-322)の祖母。羊耽の娘。夏侯湛(243-291)と夏侯光姫の母。夏侯荘の妻。
『三国志』巻9引裴注『世語』は羊徽瑜の姉と書くが、羊姉弟とは父が違うため実姉ではなく従姉が正しい。

ページ上部へ
女性一覧目次へ戻る
トップへ戻る

15/4/28up

inserted by FC2 system