西晋后妃
司馬師夫人 司馬昭夫人 司馬炎夫人 司馬炎姫 司馬衷夫人 司馬遹夫人 司馬熾夫人
元帝母
張春華 |
ちょうしゅんか |
張汪の娘。母は山涛の祖父母の姉妹。司馬懿の妻。
懿の長子・師、次子・昭の母。晋の開祖皇帝・司馬炎の祖母。 |
宣穆皇后 |
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張夫人 |
ちょうふじん |
司馬懿の側室。梁孝王・司馬肜(?-302)の母。唐の『晋書』卷38では懿の九子を生む柏夫人の直前
に載る。 |
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伏夫人 |
ふくふじん |
司馬懿の側室。四人の男子を生む。懿の四子の汝南文成王・司馬亮(?-291)、 |
伏太妃 |
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柏夫人 |
司馬懿の愛妾。懿の九子の趙王・司馬倫(?-301)の母。 |
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白女、桓白 |
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字媛容。夏侯尚の娘。母は曹真の妹の徳陽郷主。211年生まれ。 |
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景懐皇后 |
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羊徽瑜 |
上党太守・羊衜(ヨウドウ)の娘。母は陳留の蔡氏。蔡邕の孫娘。羊祜の実姉。214年生まれ。 |
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景獻皇后 |
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呉女 |
ごじょ |
鎮北将軍・呉質(?-230)の娘。夏侯徽没後に司馬師の正室になるが、離縁される。 |
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王粛の長女。王朗の孫娘。司馬昭の妻。司馬炎(236-290)の母。東海郡の人。 |
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文明皇后、崇化宮 |
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李琰 |
りえん |
司馬昭の妾。泰始3年(267年)に修華となる。以下4名も『太平御覧』中『晋起居注』に記載。 |
李修華、崇陽園妾 |
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王宣 |
おうせん |
司馬昭の妾。泰始3年(267年)に修容となる。 |
王修容、崇陽園妾 |
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徐琰 |
じょえん |
司馬昭の妾。泰始3年(267年)に修儀となる。 |
徐修儀、崇陽園妾 |
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呉淑 |
ごしゅく |
司馬昭の妾。泰始3年(267年)に婕妤となる。 |
呉婕妤、崇陽園妾 |
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趙珽 |
ちょうてい |
司馬昭の妾。泰始3年(267年)に充華となる。 |
趙充華、崇陽園妾 |
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ようえん |
字瓊之。通事郎・楊文宗の娘。司馬炎の皇后。恵帝・司馬衷の母。貴人の相があり、司馬昭が息子の妻に選
んだ。 |
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武元皇后 |
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楊芷 |
ようし |
字季蘭。小字男胤。太傅・楊駿と龐氏の娘。楊艶(238-274)の従妹。司馬炎の二番目の皇后。弘農
華陰の人。 |
武悼皇后 |
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王媛姫 |
おうえんき |
武帝・司馬炎の側室。懐帝・司馬熾(284-313)を産んだ。出自不明。おそらく平民出身か。 |
王中才人、懷王皇太后 |
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左芬 |
さふん |
字蘭芝。詩人・左思の妹。司馬炎の貴嬪。 斉国臨淄の
人。兄同様、醜い容姿だが文才に優れた詩人。 |
左蘭芝、左貴嬪 |
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胡芳 |
鎮東大将軍で胡烈(220-270)の兄・胡奮(?-288)の娘。胡遵(?-256)の孫娘。安定臨
涇の人。 |
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胡貴嬪 |
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諸葛婉 |
しょかつえん |
諸葛冲字茂長の娘。太常・諸葛緒の孫娘。司馬炎の寵姫。琅邪陽都の人。 |
諸葛夫人 |
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こうそんしゅくひ |
淑妃は官位。司馬炎の側室。恵帝の時代に、優れた見識と人柄を理由に貴人の位を贈られる。 |
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峻陽園淑妃, |
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劉媛 |
りゅうえん |
司馬炎の側室。泰始十年(274年)に采女から淑妃となる。 |
劉淑妃、劉瓊 |
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臧曜 |
ぞうよう |
司馬炎の側室。泰始十年(274年)に淑媛となる。 |
臧淑媛、臧耀 |
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芳 |
ほう |
司馬炎の側室。泰始十年(274年)に淑儀となる。胡芳とは別人。 |
淑儀 |
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趙粲 |
ちょうさん |
充華,脩華は官名。楊艷の母方のおじ・趙虞の娘。天水の人。司馬炎の妃嬪。 |
趙充華 |
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陳琇 |
ちんしゅう |
司馬炎の側室。咸寧三年(277年)に修容となる。 |
陳修容 |
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左嬪 |
さひん |
司馬炎の側室。咸寧三年(277年)に美人から修儀となる。左芬と同一人物か。 |
左美人、左修儀 |
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邢蘭 |
けいらん |
司馬炎の側室。咸寧三年(277年)に婕妤となる。 |
邢婕妤 |
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朱姜 |
しゅきょう |
司馬炎の側室。咸寧三年(277年)に容華となる。 |
朱容華、朱華 |
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李貴人 |
りきじん |
司馬炎の側室。諸葛婉が夫人の位を得た時に貴人となる。司馬允、司馬晏の母と同一か。 |
李曄(王隠晋書) |
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審美人 |
しんびじん |
司馬炎の側室。司馬景、司馬瑋、司馬乂の母。 |
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徐才人 |
じょさいじん |
司馬炎の側室。司馬憲の母。 |
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匱才人 |
きさいじん |
司馬炎の側室。司馬祗の母。 |
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趙才人 |
ちょうさいじん |
司馬炎の側室。司馬裕の母。 |
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趙美人 |
ちょうびじん |
司馬炎の側室。司馬演の母。 |
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李夫人 |
りふじん |
司馬炎の側室。司馬允、司馬晏の母。 |
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莊保林 |
しょうほりん |
司馬炎の側室。司馬該の母。 |
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陳美人 |
ちんびじん |
司馬炎の側室。司馬遐の母。 |
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諸姫 |
しょき |
司馬炎の側室。司馬謨の母。 |
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程才人 |
ていさいじん |
司馬炎の側室。司馬穎の母。 |
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かなんふう |
賈充と郭槐(237-296)の娘。恵帝司馬衷(259-306)の皇后。王隠『晋書』は南風を字とす
る。 |
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恵賈皇后、賈妃 |
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羊献容 |
ようけんよう |
羊玄之の娘。祖父は尚書右僕射・羊瑾。曾祖父は羊耽。司馬衷の二番目の皇后。 |
惠皇后、獻文皇后 |
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謝玖 |
しゃく |
司馬衷の側室。愍懷太子・司馬遹の母。貧民の出身で父は羊の屠殺を家業にしていた。 |
謝夫人、謝妃 |
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おうけいふう |
司馬衷の子・司馬遹(278-299)字熙祖の妃。太尉・王衍(256-311)の末女。 長姉の代わりに愍懐太子の妻となる。 太子が廃された後、父が愍と離婚させると号泣して家へ戻った。 劉曜が洛陽を陥落し、曜の将の喬属に妻として贈られるが、剣を抜いて属を拒む。 「私は太尉の娘で皇太子妃。逆賊のえびすに辱しめを受ける不義はしない」と反抗し、属に殺された。 陶弘景(456?-536)の『真詰』では字を進賢とし、洛陽の乱中に孟津河に妻にされかかり河へ身を投げたとされる。 |
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王小女、愍懷太子妃 |
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蒋俊 |
しょうしゅん |
司馬遹の側室。南陽王・司馬虨の母。『資治通鑑』晋紀五に記載。 |
蒋美人、蒋保林 |
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司徒・梁芳の娘。祖父は梁鴻季。司馬炎の子・懷帝司馬熾(284-313)の皇后。安定の人。 |
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懷梁皇后,懷梁后, |
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小劉貴人 |
しょうりゅうきじん |
司馬熾の後妻。劉殷(?-312)の孫娘。姉の大劉貴人は劉淵(251?-310)の四男・劉聰(?-
318)の側室。 |
豫章郡夫人 |
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かこうこうき |
『晋書』中は名を光姫、小字銅環と書くが『晋中興書』では字を光姫とし一字を銅環とする。 |
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夏侯王妃、夏侯銅環 |
15/4/28up