三国志中魏の女性

阿騖

あぶ

荀攸(157-214)字公達の妾。夫の没後、親しかった鍾繇(ショウヨウ)に再婚先を紹介してもらう。

えい

護軍營士・竇礼の妻。姓不明。夫が逃亡した罪に問われて子と共に奴婢となる。
盈は州府におもむき冤罪だと訴え、高柔字文恵が聴取して同僚の營士の焦子文が怪しいと睨む。
高柔は子文に詰問し、子文が金銭問題で礼を殺害したと分かり盈母子は平民の身分に戻った。

竇盈

王異

おうい

益州刺史・趙昂の妻。趙昂は趙顒(チョウギョウ)と同一か。
213年に馬超が冀県を襲撃したおり、武装して防戦に参加した。
冀城の有事から曹操軍が救援に来るまでの間、九つの奇策をもって戦い抜いた。

士異(資治通鑑,
三國志集解)

王氏

おうし

王允(137-192)字子師の甥・王凌(172-251)字彦雲の姉妹。
令孤愚(令孤浚,?-249)字公治の母。太原郡祁県の人。

王氏

おうし

王脩字叔治の孫で王儀(?-252)字朱表の子・王褒(?-311)字偉元の姉妹。姉と妹が一人はいた。
いずれも郷里の北海郡営陵から離れた土地へ嫁いで行った。

おうし

王脩の孫で王儀の子・王褒の娘。同県の管彦の子に嫁ぐ。北海郡営陵の人。
管彦の子が管彦を洛陽に埋葬したのを王褒が知り、
娘も都へ骨を埋められることを嫌がって離縁させ、同郷の者に再嫁させた。

おうまい

王凌の妹。郭准の妻。兄の謀反の罪に連座し連行される。
郭淮は司馬懿に「私の五子は母がおらねば死ぬでしょうし、
五子がおらねば私も死ぬことになるでしょう」と言い、助命された。

王母

おうぼ

王経の母。身分不相応な出世を重ねる王経に度々忠言していた。
甘露五年(260年)に息子の冤罪に連座して処刑される。
『世説新語』では処刑の直前に、王経が母の忠告を聞かなかったことを後悔して母に謝った。
母は「子において孝、臣において忠を尽くした結果」と言って子を咎めず、許した。

経母

夏侯氏

かこうし

夏侯尚(?-226)字伯仁の娘。夏侯玄(209-254)字泰初と司馬師の皇后・夏侯徽(211-234)の姉妹。
太常・和洽字陽士の子・和逌に嫁ぐ。沛国の人。

夏侯

かこうじょ

夏侯淵の亡き弟の娘。
兗州、豫州が大乱した際、夏侯淵が自分の幼子を棄てて守った。

夏侯遺女

夏侯

かこうじょ

夏侯尚の子・夏侯玄の娘。和洽の孫・和嶠(?-292)字長輿に嫁ぐ。

夏侯令女

かこうれいじょ

夏侯文寧の娘。曹爽(?-249)の従弟・曹文叔の妻。
夫の没後に再婚を拒んだ貞婦。

曹令(金庸小說)

郭氏

かくし

県民の郭政の従妹。
魏の胡質(?-250)が頓丘令の時、郭氏と密通し郭氏の夫・程他を殺す事件があった。

賈氏

かし

鍾繇(ショウヨウ)の二番目の正室。離縁される。
後に鍾繇は曹丕と卞后から復縁を要請されたが、山椒を食らって拒否した。

夏氏

かし

夏大夫の姉妹。管輅(カンロ,209-256)の母。

かし

賈逵(174-228)の姉。韓瑤の妻。河東郡襄陵県の人。
夫に先立たれ、子がなかったため実家へ戻り、貞女で名が知れた。
賈家は貧しく学問に投資できず、隣家で書を読む声が聞こえると幼い賈逵をかかえて聞かせた。
そのかいあってか賈逵は十歳で六経を暗誦し、後に経文を極め、門徒が集まり財産が増えた。

賈氏之姉(拾遺記)

従姑

かじゅうこ

何夔字叔龍の従兄弟の母。袁術の従兄で山陽太守・袁遺の母。
袁術が蔪陽を攻略するために何夔を頼ったが夔は応じなかった。
袁術は何夔を恨んだが血縁を理由に罰しなかった。

かじょ

賈詡の娘。賈詡が余計な災いを招かぬよう、家格や名声の高くない者と婚姻を結んだ。

毌丘芝

かんきゅうし

毌丘倹(?-255)の孫娘。劉子元の妻。母は荀氏。身重の時に一族の処刑に連座されかかる。
何曾(199-278)が「女性は実家と婚家の罪の両方に連座するのはおかしい」と指摘し、処罰を免れた。

管彦妻

かんげんつま

管彦の妻。管彦の弟・管馥は兄嫁を斉の人だと王褒に言った。

かんじょ

管彦の娘。王褒の子に嫁ぐ。北海郡営陵の人。
管彦と王褒は昔から親しく、お互いの息子と娘を婚姻させた。

かんじょ

桓階の娘。王昌の弟・王式の妻。

姜母

きょうぼ

楊阜のおば。姜叙の母。楊阜に馬超を倒すことを決心させ、曹操に称賛された賢母。
馬超に対し不義不忠の輩だと面罵し、馬超の手にかかって亡くなる。

阮女

げんじょ

衛尉・阮共字伯彦の娘。阮共の末子で晋代の医者・阮侃字徳如の妹。陳留郡尉氏の人。
許據の子・許允(?-254)字士宗の妻。醜いが非常に賢く、様々な事件を予見した。二子を生む。
鍾会が司馬師に「子が許允以上の才能を持つなら逮捕せよ」と命を受けた時、息子に助言を与え守る。
のちに許奇字子泰は晋の元康年間中(291年~299年)に司隷校尉、許猛字子豹は幽州刺史になる。
許奇の子・遐字思祖,許猛の子・式字儀祖らもみな晋の臣下になった。

許允婦
阮新婦
阮氏女
許阮氏、 阮家女

こうじょ

孔融の娘。羊衜の前妻。羊発の母。
孔融の処刑に連座して亡くなる。羊衜の後妻が蔡邕の娘。

蔡琰

さいえん

字文姫。もとの字は昭姫。蔡邕(サイヨウ)の娘。羊祜(ヨウコ)のおばか母。
初めは衛仲道に嫁ぎ、のちに左賢王・劉豹、帰国後に董祀の妻となる。
董卓の乱の影響で匈奴に拉致され、12年異郷で住んだ後に曹操によって救出される。

蔡文姬、昭姬(列女後傳)

しゅう

劉曄の母。劉普の妻。息子に遺言を残す。

劉脩

じゅんこ

荀攸のおば。辛韜の母。

荀氏

じゅんし

毌丘倹の子・毌丘甸の妻。毌丘芝の母。
娘が一族の罪に連座する際に「奴婢になるから娘の命は助けてほしい」と訴え出る。
何曾(199-279)が法を鑑み、女性の処罰は未婚時に実家、結婚後は婚家の罪のみ受けるよう改正した。

じゅんし

李豊の弟・李翼の後妻。荀彧の孫で散騎常侍・荀廙(ジュンヨク)の姉。
翼との問答が魏志夏侯尚伝注の『世語』に載る。

じゅんじょ

荀彧の娘。荀顗字景倩の姉。陳羣の妻。陳泰の母。

鍾氏

しょうし

鍾繇(ショウヨウ)の姉妹。郭援の母。

昌母

しょうぼ

姓名不明。王昌の母。聡明で礼儀作法に厳しかった。

王母

諸葛

しょかつじょ

諸葛誕の娘。王凌の子・王広の妻。 結婚する際、夫から諸葛誕に似ていないことをなじられる。
「貴方も(男でありながら)父に似ていないのに、なぜ女を英雄と比べるのか」と言い返した。

徐氏

じょし

呂安(?-262)の妻。呂安の兄・呂巽に強姦される。
この一件をきっかけに稽康と呂安は陥れられ、処刑された。

薛氏

せつし

王祥(184-268)の実母。高平の人。青州刺史王仁の子・王融の妻。王融の姉妹は満寵の妻。
早死した後、朱氏が王融の後妻となり王祥は継母いじめを受ける。

薛母

せつぼ

天水の薛夏字宣聲の母。薛夏は初め曹操に召し上げられて軍謀椽となり、黄初年間中に秘書丞になる。
夏を懐妊し夢に現れた人が「夫人の産む子は必ず賢明になります。帝王に重んじられましょう」と言った。
生んだ子は年若くして弁舌優れ、曹丕に気に入られ議論をよくした。

単母

ぜんぼ

単伯龍の妻。単固の母。子を夫と親交のあった令孤愚に仕えさせた。
令孤愚が謀反を企んだ影響で単固が逮捕されると、面会の席で子に侘びて慰めた。

夏侯氏

孫氏

そんし

鍾繇(ショウヨウ)の初めの正室。離縁される。

孫夫人

仲長

ちゅうちょう

桓範(?-249)の妻。桓範の後輩の呂昭が出世し、範が「呂子の下になぞつけぬ」と仲長に言った。
仲長は夫に言う。「貴方は東にいた時も徐州刺史(鄭岐)を独断で斬ろうし、
人々は貴方が人の下にいるのは難しいと言いました。
今、また呂昭に屈するのを恥じています。それでは呂昭より出世するのも難しいでしょう」と。
仲長の言葉が真実を捉えていたため桓範は怒り、刀環で妻の腹を殴り胎児を死なせてしまった。

趙英

ちょうえい

趙昂の娘。 6歳の時に西県で梁双の反乱が起きて兄弟を殺害され、王異に守られて難を逃れた。
王異は賊に身を汚されないよう、絶世の美女も醜女同然になる方法を用いて耐え忍んだ。

張昌蒲

ちょうしょうほ

昌蒲は字。鍾繇(ショウヨウ)の妾。鍾会の母。鍾会の出世に伴い、命婦と称せられる。
鍾会著『鍾会母傳』にて才徳秀でた女性に書かれるが、粉飾の可能性高し。
現実は鍾繇を惑わし鍾一家を混乱させた毒婦だったか。

張命婦

張母

ちょうぼ

張遼の母。曹丕により、手厚い援助を受ける。

陳氏

ちんし

陳矯(?-237)字季弼の母。臨淮の陳騫(211-292)字休淵の祖母。劉氏に嫁ぐ。広陵郡の人。
のちに陳矯は劉觀の子・劉頌(?-300)字子雅の娘を娶り同族との婚姻を非難されたと『晋書』は書くが、
両者には世代間の隔たりがあるため『晋書』の誤記載と思しい。

ちんし

陳郃(チンコウ)の姉。李通と同郷の陳恭の妻。

でんじょ

田豫(171-252)字国譲の娘。孫資の長男・孫宏の妻。

とうし

董种(トウチュウ)の姉。馬超の妾。
馬超が張魯に妻子を預けた後、張魯が魏に降ったため閻圃の妻となる。

董氏

とうし

董昭(156-236)の姪。河南尹・司馬芝の妻。

とうじょ

中常侍・唐衡(?-164)の娘。荀彧(163-212)の妻。潁川の人。
唐衡は汝南の傅公明に縁談を断られ、次に荀緄が唐衡の権勢を得るため荀彧との縁談を成立させた。
それで荀彧は世の人の誹謗を受けたと『典略』は書くが、
裴松之は唐衡の没年と荀彧の生年を元に信憑性が低いとした。

とこ

夏侯惇の部下・韓浩字元嗣の母。河陰県令・杜陽のおば。

はく

逃亡した兵の妻。
夫の罪により死刑を言い渡されたが、盧毓(183-257)字子家の主張により死罪を免れる。

へいじょ

邴原(ヘイゲン)の娘。
曹沖(196-208)と同年に死去し、合葬の申し出があったが、父が拒否した。

へんじょ

九江太守・辺譲(?-193?)字文礼の娘。中書令・虞松字叔茂の母。陳留郡浚儀県の人。

楊氏

ようし

李斌の母。李義の子で李豊の弟・李翼(?-254)の前妻か。
楊駿字文長の娘。司馬炎の皇后・楊芷の姉妹。

李通妻

りつうつま

李通の妻。伯父が罪を犯して処刑される所、子と共に夫に助命を嘆願する。
李通は「法を曲げることはできない」として伯父を助けなかった。

劉氏

りゅうし

劉先字始宗の姉妹。天才児・周不疑字元直の母。零陵の人。

劉氏

りゅうし

中大夫・張蕃(本名は雄)の妻。音律に通じ、曹爽(?-249)の妓女たちの指導をした。

玉姑(潮劇『曹営恋歌』)

りゅうまい

柳孚の妹。豫州刺史・賈逵の妻。賈充の母。
賈充が魯郡公に封じられた時、魯国太夫人に封じられる。

魯國太夫人

ろじょ

司空・盧公の娘。幽州の人。華氏に嫁ぐ。
盧植(?-192)字子幹の四男・盧毓(183-257)の娘で華表(204-275)の子の妻か。

華城門夫人

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