魏の皇族と外戚
曹操娘 曹丕外戚 曹丕娘 曹叡外戚 曹叡娘 曹芳外戚

しゅうおう

卞后の祖母。開陽恭侯・卞広の妻。卞遠の母。

陽都君

卞母

べんぼ

卞后の母。敬侯・卞遠の妻。姓名不明。北方異民族の出身?

敬侯夫人

曹操内妹

そうそうないまい

曹操の妻の妹。夏侯淵の正室。姉不明。丁夫人の妹?

曹姨妹丁氏

従妹

そうじゅうまい

曹操の従妹。宋酆(?-178)の子・宋奇(?-178)の妻。
宋奇の妹は霊帝・劉宏(156-189)の皇后だったが中常侍・王甫の謀略により一家もろとも誅殺された。

従妹

そうじゅうまい

曹操の従妹。任峻(?-204)字伯達の妻。

そうじょ

曹操の弟(海陽哀侯)の娘。夏侯淵の長子・夏侯衡の正室。

そうじょ

曹洪(?-232)字子廉の娘。荀彧の末子・荀粲(209?-238)字奉倩の妻。美人で荀 粲の寵愛を受ける。
病で熱を出し、荀粲は裸になって冷やした体をくっつけて熱を下げようとしたが病死した。
妻の死後、妻を娶ろうとしない荀粲に傅嘏が「美人なだけの女性はどこにでもいるでしょう」と言った。
荀粲は「妻は傾国の美女ではありませんでしたが、それでも簡単に得られるとは思いません」
と答え、妻の死後一年して病を得て29歳で亡くなった。

そうし

曹丕の姉。曹操と劉夫人の長女。弟・曹丕に勧めにより、夏侯惇の次男・夏侯楙字子林の妻となる。
夏侯楙が関中にいた時、多くの伎妾を抱えていることに公主は不満を持っていた。
のちに夏侯楙の弟たちが規律を破り、兄の叱責を受けたため夏侯楙を陥れる計画を立てた。
公主が曹叡に上奏し、夏侯楙を処刑したいと曹叡は思ったが 長水校尉・段默は引き留め、
夏侯楙夫妻の不仲が原因で起きたことだと言って真相を調査した。
夏侯楙の弟の子臧、子江の捏造だったとわかると夏侯楙の処刑は免れた。

清河長公主
清河公主
元女

そうじょ

曹操の娘。父が曹沖(196-208)と同年代の神童・周不疑を気に入り、縁談を持ちかけたが辞退される。
曹沖没後、曹操は曹丕に対し「不疑はお前が使いこなせる者ではない」と言って周不疑を暗殺した。

そうじょ

曹操の娘。夏侯尚の正室。夏侯玄と夏侯徽の母。
夏侯尚が妾ばかり寵愛すると、曹丕により愛妾は殺された。

徳陽郷主

そうじょ

曹操の娘。荀彧の長子・荀惲の妻。

安陽公主

そうじょ

曹操と杜夫人の娘。何晏の妻。
『魏末傳』では何晏と異父同母兄妹と書かれ、裴松之が誤りだと指摘した。

金郷公主

そうじょ

曹操と杜夫人の娘。

高城公主

そうじょ

曹操の娘。張魯の息子に嫁ぐ。『太平御覧』巻518『南鄭城碑』に記載。
張魯が曹操に降った時の魯に五男と未婚の十女がおり、宗室へ娘を嫁がせ、宗室の娘を子に娶ったという。

ちょうじょ

張繍の娘。曹操の子・曹均の妻。

えんじょ

袁紹の長子・袁譚の娘。203年に曹操の子・曹整の妻となる。
204年に袁譚が反乱を起こしたため離縁される。

ちょうじょ

張魯の娘。曹操の子・曹宇(?-278)字彭祖の妻。『張鲁女墓碑』では名前を琪瑛とし、
建安元年(196年)七月十二日に生まれて建安二十二年(217年)三月二十日に亡くなったと書かれる。

張琪瑛、女郎、天后

しんじょ

甄氏の娘。曹操の子・曹沖が亡くなった時に合葬される。両親不明。

張氏

ちょうし

上蔡令・甄逸の妻。甄后の母。常山の人。
甄后が飢餓に苦しむ民衆に援助するよう張氏に頼み、聞き入れた。

安喜君、敬侯夫人

劉氏

りゅうし

甄后の次兄・甄儼の妻。甄儼没後に遺児を育て貞節を守った。
義母の張氏は劉氏に辛く当たることがあったが、義妹の甄后が弁護して両者は親密な仲になった。

東郷君

甄姜

しんきょう

甄逸の長女。甄后の姉。

元女

甄脱

しんだつ

甄逸の次女。甄后の姉。

中女

甄道

しんどう

甄逸の三女。甄后の姉。

甄栄

しんえい

甄逸の四女。甄后の姉。

董氏

とうし

曹丕の郭后の母。郭永の妻。

堂陽君(裴注『魏書』)
都郷君

郭昱

かくいく

郭永の娘。郭后の姉。孟武の母。
孟武が妾を求めた際、郭后は「世に婦人は少ないので士卒に分け与えるべき」と言い止めさせた。

そんじょ

孫権の従兄・孫賁の娘。曹彰の妻。

曹公子婦

さいじょ

崔琰(サイエン)字季珪の兄の娘。曹植(192-232)の妻。崔覇の娘か。清河東武の人。
当時禁止されていた刺繍入りの服装を着たところを曹操が発見し、処刑される。

陳妃

ちんひ

曹植の後妻。姓名不明。東阿王妃から陳王妃へ改封される。出典は『謝妻改封表

曹妾

そうしょう

曹植の妾。庶子・曹志(?-288)字允恭の母。曹志が散騎常侍に任命される頃に亡くなる。
志は母の死をきっかけに病を得て太康九年(288年)に亡くなった。

そうじょ

曹丕と甄后の娘。曹叡の妹。

東郷公主

そうじょ

曹丕の娘。桓階字伯緒の子・桓嘉(?-252)の妻。
桓階の娘が王式の妻だったため挨拶をしに行こうとした際、桓嘉が王式の母の厳格さを理由に引きとめた。

升遷亭公主

そうじょ

曹彰の娘。王式の兄・王昌字公伯の妻。
王昌の母は礼儀作法に厳しく、宗室の娘に対しても礼法を求めて豪華な衣装を着用させなかった。

そうじょ

曹林(?-256)の娘(王隠『晋書』)または孫娘(裴注『稽氏譜』)。
竹林の七賢・稽康字叔夜の妻。

長樂亭主

夏氏

かし

毛嘉の妻。曹叡の毛皇后の母。

野王君

杜氏

とし

曹叡の郭皇后の母。郭満の妻。

郃陽君

そうじょ

曹叡の長女。李韜の妻となり二子を産む。
舅の李豊が処刑されると李一族は皆殺しになったが、皇族の血筋を理由に二子は助命される。
のちに任昊の子・任愷(223?-283?)字元褒に嫁いだことが『晋書』巻45に載る。

斉長公主、曹元女

そうじょ

曹叡の娘。
侍者が曹洪の乳母・当と共に邪神(仏教における地獄の神?)を信仰し、侍者は投獄された。

臨汾公主

とう

曹洪の乳母。臨汾公主の侍者と共に邪教(仏教の地獄の神?)を信仰したため、投獄された。

曹淑

そうしゅく

曹叡の愛娘。232年に夭折し、懿と諡される。甄后の甥の子・甄黄と合葬された。
曹植が『平原懿公主誄』を作る。

平原懿公主

甄母

しんぼ

廃帝・曹芳(232-274)字蘭卿の最初の皇后・斉王甄皇后の母。

廣樂郷君

向氏

きょうし

張緝の妻。廃帝・曹芳(232-274)字蘭卿の二番目の皇后・張皇后の母。

安城郷君

田氏

でんし

曹芳の三番目の皇后・王皇后の母。王夔(オウキ)の妻。

宣陽郷君

劉氏

りゅうし

曹爽(?-249)字昭伯の妻。司馬一族の反乱により処刑される。

劉氏

りゅうし

卞秉の孫・卞隆の前妻。高貴郷公・曹髦(241-260)の卞皇后の母

順陽郷君

王氏

おうし

卞秉の孫・卞隆の後妻。曹髦の卞皇后の義理の母。

昱陽郷君

劉氏

りゅうし

卞秉の子・卞琳の妻。曹髦(241-260)字景明の卞皇后の母。

広陽郷君

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