漢魏晋の道士

韓太華

かんたいか

韓安国の妹。西漢の将軍・李広利(?-前89)の妻。明晨侍郎。

張微子

ちょうびし

西漢昭帝・劉弗陵(前94年-前74)の時の将作大匠・張慶之の娘。

梅姑

ばいこ

秦あるいは漢代の仙女。丹陽湖の人。 生まれつき道術を会得し、水の上を駆けることができた。
上虞東関に梅姑庙があったが文化大革命の前後に壊される。

郭芍薬

かくしゃくやく

漢の波遼将軍・郭騫の娘。東平の人。

黄景華

こうけいか

後漢の司空・黄瓊(86-164)の娘。女道士。

黄夫人

周愛支

しゅうあいし

後漢の河南尹・周暢字伯持の娘。汝南安城の人。明晨侍郎。

趙愛児

ちょうあいじ

幽州剌史・劉虞(?-193)の別駕・趙該の姉。

趙素台

ちょうそだい

後漢の幽州刺史・趙煕の娘。

張桃枝

ちょうようし

後漢の司隶校尉・朱寓(朱浮)字季陵の母。沛の人。明晨侍郎。

程偉妻

ていいつま

漢の期門郎・程偉の妻。道術を会得し、神通変化ができた。

竇瓊英

とうけいえい

聞喜侯・竇武(?-168)の妹。安豊戴侯・竇融の玄孫。扶風平陵の人。明晨侍郎。
父は定襄太守・竇奉。 姪の竇妙(?-172)は桓帝劉志(132-168)の三番目の皇后。

傅礼和

ふれいわ

後漢の桓帝の外甥、侍中・傅建の娘。北地の人。

麻姑

まこ

後漢の孝桓帝の時の人。

劉春龍

りゅうしゅんりゅう

後漢の宗正・劉奉仙の娘。 劉春龍、竇瓊英、韓太華、李奚子、郭叔香はみな天姿嚴麗、
儀冠駭衆、才識偉錬で明晨侍郎の位を得た。

王魯連

おうろれん

魏の明帝・曹叡(206?-239)時の城門校尉・範陽の王剛(伯綱)の娘。
王魯連、趙愛児、郭芍薬は霊飛六甲の道術を習ったという。

王魯、女仙

郝姑

かくこ

字女君。太原の人。魏の青龍年間(233-237)に隣家の女性十人と水辺に出かけ、
突然青い服を着た三人の童子が現れ「東海公が女君を妻に娶ります」と言った。
郝姑は「私は水仙の加護を得たのでしょう」と語り、のちに水仙海神として崇められる。

郝女君、聖姑

郭叔香

かくしゅくか

魏の武郎中令・北海の王脩字叔治の母。王脩が7歳の時に亡くなる。明晨侍郎。

李恵姑

りけいこ

夏侯尚(?-226)の子・夏侯玄(209-254)の妻。斉の人。
義妹は司馬師(208-255)の正室・夏侯徽(211-234)。道術を会得した。

李奚子

りけいし

晋の東平太守・李忠の祖母。姓不明。明晨侍郎。

諸葛果

しょかつか

諸葛亮(181-234)の娘。仙人になる修行をした。
『諸葛忠武侯文集故事』に記録はあるが、架空の人物だとも言われる。

鄭天生

ていてんせい

蜀の鄧芝(?-251)の母。『柳如是別伝』によると張姜子、李恵姑、施淑女の3人も
仁行と令聞があり、洞中で修業し、含真台(女子で道術を会得した者の宮名)になった。

施淑女

せしゅくじょ

呉の朱然(182-249)の子・朱績(?-270)の娘。山陽の人。道術を会得した。

朱淑女

孫寒華

そんかんか

孫賁(?-219?)の孫娘。呉の孫奚の娘。

樊夫人

はんふじん

下邳出身の天師・劉網字伯鸞の妻。
上虞県令の夫が官位を棄て、共に四明山に入って仙術を学び、鬼神を呼び出すことができた。

樊雲翹(四明山志)
湘媼

張姜子

ちょうきょうし

張繍(?-207)の族父・張済(?-196)の妹。西州の人。道術を会得した。

張玉蘭

ちょうぎょくらん

張衡の娘。張魯の姉妹。17歳の時に夢の中で赤い光が口に入り、夫不在で妊娠する。
両親に妊娠を責められ、腹を斬り自殺すると『本際經』が出てきた。『傳仙録』記載。

張賢姫

ちょうけんき

天師・張陵(34?-156?)の三女。張衡らの姉妹。張魯(?-216)のおば。
姉妹揃って巫術を極めていたという。

張賢、燕王妃

張文姫

ちょうぶんき

天師・張陵の長女。張衡らの姉妹。張魯のおば。陳郡の袁公の子に嫁ぐ。

張文光

ちょうぶんこう

天師・張陵の次女。張衡らの姉妹。張魯のおば。

陵王妃

張芳芝

ちょうほうし

天師・張陵の四女。張衡らの姉妹。張魯のおば。魏公の第二子に嫁ぐ。

張芝

張母

ちょうぼ

張魯の母。張衡の妻。巫術に長け、実年齢よりも若い外見だった。
巫女として劉焉の家に通っていたが、劉璋によって殺される。

盧氏(漢天師世家)
少容

東陵聖母

とうりょうせいぼ

広陵海陵の人。杜氏に嫁ぎ、呉の劉網に師事して神通力を得た。東陵聖母は号。
道術で病人を治療していたが夫は道術を信用せず、妖術を操るとして役人に言いつけられた。
投獄されるも術を使って脱獄し、のちに廟が建てられた。
東陵はかつて東原と呼ばれ、漢の景帝・劉啓(前188-前144)が東陵と改名した。

杜姜(博物記)

紡績

ぼうせき

王表という神に仕えた巫女。呉の官吏との問答にすべて勝ったとされる。

雍氏

ようし

天師・張陵の妻。張衡らの母。張魯の祖母。
桓帝永寿二年(156年)、夫と共に雲台峰の上を飛翔したという仙女。

雍夫人、孫夫人

河北王母

かほくおうぼ

魏朝の仙人・白和字仲理の師匠。

女仙

魏華存

ぎかぞん

字賢安。晋の司徒・魏舒の娘。山東任城樊邑の人。252年生まれ334年没。

南嶽魏夫人

許氏

きょし

許遜の二番目の姉。『江西通志』では妹。南昌の鍾離嘉字公陽または超本の母。
嘉は早くに両親を亡くし、道術を学んで十二真君の一人になった。

仲姉、次姉(警世通言)

許氏

きょし

許遜の長女。蘭陵出身の彭抗字武陽の妻。
彭抗は永康年間(300-301)に官位を棄てて許遜に仕え、遜の娘を娶った。
また、彭抗の娘(『警世通言』では勝娘)は許遜の子に嫁いだ。

許氏

きょし

許遜の娘。豫章建城または高安の黄仁覧(?-374)字紫庭の妻。
夫が青州従事に就任し単身赴任をした時、夜毎に仙術で会話をした。
仁覧の妹も仙人になったという。

女姑,仙姑(警世通言)

盱母

くぼ

盱烈字道微の母。南昌の盱君の妻。許遜の姉。長定郷益塘坡の人。

許氏、
孟(修真十書玉隆集卷)

周夫人

しゅうふじん

南昌県長定鄉益塘坡出身の許遜(239-374)字敬之の妻。
娘が結婚適齢期になったのを許遜に言うと、遜は弟子の黄仁覧に嫁がせた。

真君夫人,
周女(修真十書玉隆集)

諶姆

しんぼ

字は嬰。 晋の有名な道士・許遜と呉猛字世雲の師匠。
年齢を重ねても歯髪は衰えず若い容姿のままだった。

嬰姆、諶嬰

薛練師

せつれんし

晋の女道士。南岳の尋真台にいて道術を修練した。
白豹にまたがり、黄色の烏と白い猿が常に側にいたという。

薛女真

文女真

ぶんじょしん

晋の女道士。黄龍に乗って飛翔できたという。名は恵通。

文恵通

鮑姑

ほうこ

南海太守・鮑説字太玄の娘。陳留の人。
晋の散騎常侍で道教学者・葛洪(284-364)の妻。

鮑家姑

劉仙姑

 りゅうせんこ

名は懿。靖安の人。齢数百歳にして童子のごとき容姿を持っていた。

劉懿

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