祝融は、孟獲の妻の祝融夫人のことです。
帯来洞主の姉でもあり、投げナイフの腕は百発百中だと紹介されます。
彼女は祝融氏の子孫で、祝融とは彼女の姓を指すものだと思われます。
姓のみの呼称となりますが、以後は祝融と呼びます。
祝融は演義第九十回にのみ登場します。
話は孟獲が諸葛亮に五回捕らわれた後の戦から始まります。
その戦で朶思大王が戦死した報せが届くと、颯爽と祝融が現れます。
「男でありながら、なんと知恵のないことでしょう。私は女だけれど、私も戦に出ますよ。」
そう言うと祝融は馬に乗り、五万の兵を率いて出陣します。
たちまち張嶷と馬忠を捕まえ、孟獲のもとに連れて行きました。
その事を知った諸葛亮が馬岱・趙雲・魏延に策を授け、出陣させます。
初めは諸葛亮の罠にかからない祝融でしたが、魏延の挑発に乗った事がきっかけで捕まえられます。
諸葛亮のもとへ祝融が連れ出されると、張嶷と馬忠との人質交換のために送り返されました。
その後、祝融の活躍は記載されていません。

演義には珍しい女武将ですが、結局は諸葛亮の偉大さを表す引き立て役です。
それは南蛮の人々全員が当てはまる事ですから、祝融に限った話ではありません。
諸葛亮の踏み台になるとはいえ、女性が大軍を率いて戦う様子は異彩を放ちます。
漢民族の女性ではありえない行動が、より蛮族らしさを表現しているのかもしれません。

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