史書・演義に載っていないにも関わらず、原典に書かれているとされがちな事柄が存在します。
その根拠となる理由に説得力がない、または間違いだと言えるものを紹介します。


・孫夫人は劉備との結婚時、16,7歳だった
史書・演義に記述なし。吉川英治の『三国志』の設定。
演義の設定では父が191年に亡くなっているため、最低でも18歳以上となる。

・孫夫人は武芸達者
史書・演義に記述なし。部屋に刀剣類を飾ったり、武装させた侍女同士の試合を見て楽しんだりしたとあるのみ。
侍女を統率する場面はあるが、本人が戦う事は一切なし。

・孫夫人は弓腰姫とよばれた
史書・演義に記述なし。吉川英治の『三国志』の設定。

・夏侯氏の名は月姫といい、美女だった
史書・演義に記述なし。三好徹の『三国志外伝』の設定。

・黄氏の名は月英
史書・演義に記述なし。民間伝承の設定。

・黄氏は天才発明家で、夫の発明の手助けをした
史書・演義に記述なし。民間伝承の設定。

・張飛の娘は美女
史書・演義に記述なし。三好徹の『三国志外伝』に設定があるが、これが誤認の原因かは不明。
一般的には三国無双の影響が強いと思われる。

・張春華は恐妻
史書に記述なし。演義は未登場。誤訳本が存在するが、これが誤認の原因かは不明。 
 一般的には三国志大戦の影響が強いと思われる。

・若い女性は姓+姫で呼んだ
後漢〜三国時代にそのような風習があった記録なし。三国無双の甄姫から始まり、三国志大戦で誤用が広まったか。
実名以外で姫と呼ばれるケースは女官の位を指す事がほとんどであり、その多くは身分の低い妾。


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