文字の色分け基準は以下の4つ。
黒…正史または演義にある記述、設定
…史書、演義等の記述から発展した解釈
…野史、民間伝承等の記述
…史書、演義等に基づかない架空設定


-1から登場-
王異 誇り高き 才媛 * 広瀬総士
強さと聡明さとを兼ね備えた、三国志きっての女傑。曹操に敗北し、暴れていた馬超を、計略によって西涼より追い出した。
さらに祁山に攻め込んできた馬超の猛攻を自ら兵を率いて防ぎきり、見事に打ち払った
「西涼の蛮族めが、女の意地と誇り、侮るな・・・・・・」
主君に忠誠を尽くす事とプライドが高い事は別の話だと思うが、そのような解釈ができないと否定する根拠もない。ただ微妙にずれた読解のように感じる。
説明はおおまかに合っているが、王異自体が馬超を撃退したわけではない。
正確には夏侯淵率いる張郃部隊が援軍に駆け付けた事により、馬超が逃げて行った。
王異は援軍が来るまで防戦に徹していただけである。
郭皇后   * Wolfina
曹丕の妻。幼い頃より大変な美貌の持ち主で「女の中の王」と呼ばれていた。
曹丕の妻となると、曹丕の寵愛を一身に集めた。そこで甄皇后からその座を奪うため、陰謀を企てた彼女は、
罠によって曹丕に誤解を生じさせ、甄皇后を自殺へと追い込んで皇后となった。
「甄姉様、もう言い逃れはできないのではなくて?」
父から「女の中の王」と評価された事は史書・演義共にあるが、その理由は不明。なお、史書においては美貌であったかも不明。
曹丕に愛されたことは確かであるものの、同時期に他の女性も気に入られていたため「寵愛を一身に」受けたとは言い切れない。
甄皇后は曹丕に死を命じられて亡くなったため、自殺ではない。
蔡文姫   * 小川雅史
蔡邕(さいよう)の娘。後漢きっての才女で、「胡茄十八拍」など数々の歌や書を書いた。
都が混乱した際に、北の異民族である匈奴の王の妻となっている間に無事に助け出され、
以後帰郷してからは超人的な勢いで、大量の書物を書き残した
「まあこんなもんか。ふぁ〜あ、ひとやすみぃ・・・・・・」
蔡邕の蔵書のうち、書き記せた四百篇を大量と見るかどうか。
誤字脱字が一つもなかった書の腕前は確かに超人的で、ゲーム中の造形以外は特にツッコミ所なし。
甄皇后 悲哀の皇后  * 真島ヒロ
魏の初代皇帝・曹丕に見始められ、寵愛を一身に集めた、三国志を代表する美女のひとり。
その美貌から、曹丕の父・曹操や、弟の曹植からさえも恋慕されたという。
だが本人の性格は「高潔」とさえ呼べるほどのもので、公明正大、回りの者をよく助け、よく支えた。
「貴方達の覇業、お手伝いさせていただきますわ」
大体合っている。曹操から恋慕された記述の正確な出典は未発見。
甄皇后   * 那智上陽子
曹丕の妻。類まれな美貌ゆえ、曹丕の寵愛を受け、曹叡と東郷公主を生んだ。曹丕が帝位につくと皇后となった。
しかし次第に曹丕の寵愛が郭皇后らに移り、甄皇后は失意に陥り、恨み言を言ったため、曹丕に自殺を命じられた
「寵愛を一人占めした罰を受けたのですね・・・・・・」
死ぬことを強要されたことを自殺と言うべきか、この辺は日本語の問題。
張春華   * masaki
司馬懿仲達の妻。曹操の仕官の誘いを、仮病でごまかしていた夫の姿を目撃した下女を、
口封じのために殺してしまったという逸話を持つ、ぶっとんだ女性。司馬懿は怖くて、生涯妻に頭が上がらなかったという
「うふふ、心配なさらないであなた。
  汚い鼠は、私がひねり殺しておきましたから・・・・・・」
恐妻設定の出典はどこぞの誤訳本につき、史実ではない。
卞皇后    * 陸原一樹
曹操の妻で、曹丕、曹彰、曹植の母。もとは一介の歌姫であったが、曹操に気に入られて妻となった。
聡明でつつましい性格の人物で、皇后となっても、権力に執着することなく 、影からよく曹操を助けたという。
「王の妻だからこそ、何も欲さず夫を助ける。
栄誉より価値があるものなんて、ありませんから。」
裴注では野心家な逸話があるものの、当サイトにおいて虚構だと判断できる話のため、間違いではない。
ついでに言うと曹熊の母でもあるのだが、ゲームでは一切登場しない影響で省かれたか。
-2から登場-
甄皇后 薄幸の美姫 * 戸橋ことみ
曹丕の妻となった絶世の美女。最初は袁紹の息子袁煕の妻であったが、官渡で大勝した曹操軍が城に攻め込んだ際、曹丕に見初められ妻となった。
後に曹丕が皇帝になった時に皇后となったが、その座を狙う郭夫人の讒言により自決に追い込まれた
「乱世に愛を望むのはあさはかな事でしょうか?」
また気になる日本語。管理人だけかもしれない。
賈南風 * RARE ENGINE
西晋の二代目皇帝・恵帝の妻。夫を独占する為に、側室やその子を自ら手にかけた嫉妬深く残忍な女性で、虐后とまでに称された。
自分の一族に実権を持たせるために、外戚を粛清したことによって、晋を滅ぼすきっかけを作ってしまう。
「私の下僕になりたいの?」
醜女だった事を伏せている点だけが気になる。
辛憲英 * masaki
魏の幕僚・辛毗の娘。時流を的確に読む目をもって、司馬懿のクーデターや鐘会の謀反を予言した賢女。
その的確な助言により、弟や息子は混乱することなく戦場で行動できたという。陸抗の好敵手・羊祜の育て親でもある
「己の成すべきことを成せばよいのです」
羊祜の叔母に当たり、羊祜を養った記述がある事は確かだが、異説では羊祜は伯母の蔡氏に育てられる。私的に後者の方が妥当性を感じる。
曹皇后 * 音楽ナスカ
曹操の次女。献帝へ嫁いで皇后になった。献帝が魏に禅譲して皇帝の証である璽を引き渡すと、王朝の終焉に涙を流して悲しんだ
兄の曹丕が夫の献帝から帝位を奪い取ったことが、彼女にはその身を裂かれるほど辛かったという
兄上、陛下に何という仕打ちを……!」
范曄の後漢書は曹操の次女だと書いてはいるものの、他の後漢書や曹操の娘の記述からして断言しにくい。
彼女が禅譲を拒んだ正確な理由は不明。曹丕が帝位を奪い取ることが辛いのか、自分が皇后でなくなることが辛いのか、どちらでも捉えられる。
曹丕の妹だと断定することはできない。中国のサイトでは曹丕の姉で通じている模様?
張春華 冷徹なる *冬目景
魏の大軍師・司馬懿仲達の妻。聡明な女性で、夫の覇業を陰ながら支え、後に皇帝の系譜となる息子たちを育てた。
しかし反面、夫を諌めるために息子たちとともに部屋に籠もり心中を図るなど、激情的な性格も併せ持っていた。
「死ぬのが怖いの? 可哀相な人ね……」
蝶は姓との関係か。
史書において賢いように書かれているが、私的に彼女の逸話はスマートなものではないため違和感を感じる。
息子を殺そうとした行為は司馬懿の覇業を妨害する横暴ではないのか。
自殺未遂の件は司馬懿を諌めるためではなく、司馬懿への嫌がらせである。全体的に美化が気になる文章。
郭皇后 女の中の王 *あきまん
父親から「自分の娘の中で一番の美貌」という意味をこめて女王とあだ名されていた。
両親を早くに失い、女中となっていたが、曹操に見出され曹丕の妻となる。
子宝には恵まれず、自分で謀殺した甄皇后の息子である曹叡を養子とするが、逆に復讐されてしまう。
「ククク、これでわらわが公主じゃ。」
父から娘の中で一番だと言われたことは確かだが、その理由は不明。ここまでくると明らかに作っている設定である。
公主は主に皇帝の娘や姉妹を指す言葉で、皇后の事は意味しない。女性の尊称として使うことはあるが、単純な誤用のように思われる。
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