袁夫人は袁術の娘で孫権の側室となった女性です。以下、袁女と表記します。
正史の潘夫人(孫権の妻)の伝に記述があります。
また、その
注釈に袁術の娘だと記載されています。

潘夫人は性格が陰険で、美しい女性には嫉妬していました。
そして袁女が潘夫人の嫉妬を買い、殺されることになります。


注釈では、袁女には節義ある行いがあったが息子を産まなかったと書かれています。
女の子を産んだのかはわかりません。
孫権は彼女に他の女性が産んだ男の子を育てさせたのですが、皆育ちませんでした。
おそらく、彼女の手で成長した男児を後継ぎ候補にしようと孫権が考えていたのでしょう。

孫権の愛妾・歩夫人が亡くなると、孫権は袁女を皇后にしようとします。
それまでは歩夫人を皇后にしたいと思っていたのですが、かなり変わり身が早いですね。
この二人を同じくらいに愛していたのかもしれません。
(強烈な)娘が居る分、歩夫人に目をかけていたようです。

ところが 袁女は皇后になることを拒みます。
理由は「自分は男の子を産んでないから」というものです。
しかし、男の子を産まなかったのは歩夫人も同じです。
その歩夫人は皇后となることを拒んだ様子は全くありません。
生前、周囲の人々が「皇后」と呼んでいたそうですが、それについて歩夫人からは何の言動もありません。
甘んじて皇后となることを受け入れていたようです。
そのような態度の違いから、袁女の方が賢く慎み深い性格の女性である印象を受けます。
父親があの皇帝を名乗ってた袁術とは思えませんね。

歩夫人が好きな方には申し訳ないですが、袁女と比べるとどうも「権力欲あったんじゃないの?」という気がします。
好意的に見れば孫権の言う事に逆らわない、大人しい女性という捉え方もありますが、娘が娘ですし。
嫉妬を知らない性格との評価も、孫権に一番愛されているのは自分だ、という自信があればこそな気もします。


呉の女性へ戻る


10/12/15up

inserted by FC2 system