裴注の『会稽典録』には、孫策を戒める話があります。
孫策の功曹だった魏騰が孫策に逆らい、処刑されようとしたことがあります。
他の士大夫は為す術がなく、誰も孫策を引き留められませんでした。
それを知った呉后が、大きな井戸の縁に座り、孫策に向かって言いました。
「お前は江南に勢力を伸ばし始めたばかりで、まだ事を成し遂げていません。
このような時こそ賢者や有能な人物を優遇し、多少の欠点は無視して取り立てるべきなのです。
魏騰どのは、自分の職務に尽力なさっています。
お前がその魏騰どのを殺せば、明日には人々がお前から離れていくでしょう。
私はそんな事態を目にしたくありません。
その前に井戸に身を投げて死にましょう。」
これを聞いた孫策は驚き、あわてて魏騰を釈放しました。
呉后の機智はいつもこのようであったと言います。
うがった見方をすると、孫策は何度も問題を起こしてたのですかね。
暴走するたび母に止められたと。
単なる呉后の聡明ぶりを表した例ですので、何も孫策に限った話ではないでしょうが。
ともあれ、かなり賢い女性だとわかります。
詩経や兵法に通じている、といった知識のある女性を才女だ賢女だと持て囃すこともありますが、知識と知恵は別物です。
純粋に賢女と言うべき人は、呉后のように機転が利き、実績もある女性だと思います。
孫権が呉の主君になれたのも、ひとえに母の聡明さと胆力のたまものではないでしょうか。
また、呉后が亡くなる際に後事を張昭に託した後、張昭が孫権に物申す時に呉后の名を挙げています。
張紘にも、彼の伝の注釈において好意的に見られていた様子がうかがえます。
臣下から慕われた女性なのでしょう。三国志の女性の中では最も政治的に優れた人物だと言えます。
SLGなら政治力と魅力は80越え確定ですね。
10/12/15up