甄后は甄逸の娘で、曹丕の妻です。中山郡無極県の出身です。
家は代々二千石の官吏であり、父は上蔡の令という裕福な家庭で生まれました。
絶世の美女で有名な女性ですが、陳寿の記述では一言も容姿について触れられていません
また史書においては聡明さが表れる一方、才女としての知名度はいまいちです。
これらについては別途考察します。

建安年間に袁紹が息子の袁煕のために甄后を迎え入れます。
袁煕が幽州刺史となると、甄后は夫と離れて義母(袁紹の妻・劉氏)の世話をしてました。
その時に官渡の戦いが起こり、鄴にいた甄后は曹丕の妻となります。
のちに曹叡と東郷公主を産んだと記録されています。
曹丕が禅譲を受け帝位に就くと、献帝から二人の娘を側室として貰い受けました。
同時期に郭后、李貴人、陰貴人も曹丕の寵愛をうけたため、甄后は失意に陥って怨み言をいったとされます。
それを知った曹丕が腹を立て、221年に甄后に自殺をさせます。
のちに曹叡が皇帝となると昭と諡号を追贈され、廟が建てられました。

甄后の晩年は不遇な人生でしたが、死後の評判はかなり良いものでした。
野史において、卞后と郭后は人物非難に近い記述があるのに対し、甄后は称賛の記述ばかり です。
夫に忌み嫌われて亡くなった女性にしては、不思議な現象です。
それはまた次回以降に考察します。

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