郭后は、郭永の娘で曹丕の妻です。安平郡広宗県の人です。
幼少の時に父から「自分の娘の中の王だ」と評価され、女王という字をつけられました。
美女として有名な方ですが、陳寿の記述はおろか裴松之の注釈にさえ美人とは書かれていません
美女だとされる要因は後日考察します。

郭后は先祖が代々長吏でしたが、早くに両親を亡くして流浪し、召使いとして働いていました。
その時に曹操が郭后を見出して曹丕の女官にします。
以後、郭后はしばしば曹丕に献策し、曹丕から寵愛を受けます。
寵愛が甄后から郭后へ移ったことにより、甄后は死んだと陳寿は書いています
222年に曹丕により皇后に立てられます。
その際、臣下からの諫言がありましたが、曹丕は聞き入れませんでした。

郭后は皇后となったのち、親類たちが権勢を盾に勝手な事をしようとするのを諌めました。
陳寿の記述では郭后の理路整然とした言動が記載されています。
素直に読めば聡明で真面目かつ心優しい女性です。
しかし裴注を見ると、その行動理念は自分が余計な害を被らないための防衛策 のようにも解釈できます。
郭后は知略に秀でたと評価されていますから、計算ずくの戒めだったのかもしれません。
演義にて甄后を謀殺した悪女とされても、無理ではない話でしょう。
もっとも、謀殺は裴注に記載があるので演義の架空設定ではありませんが。
甄后の死の原因については別に考察します。

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