卞后とは、曹操の最終的な正室のことです。謚は宣です。
曹丕、曹彰、曹植、曹熊の母です。いずれも男子で、娘を産んだ記録は残っていません。
弟に卞秉(べんへい)がおり、卞后の身分が高くなるにつれ、彼も取り立てられることになります。

卞后はもともと倡家の出身であり、歌妓でした。
彼女の仕事は日本で言うところの芸者や旅芸人のように、楽器を奏でたり歌ったりして客を楽しませるものです。
当時この職業は奴隷のように身分が低く、周囲から軽蔑されるものでした。
後世の歌妓は身を売る生業もしていたせいか、卞后もそのような仕事をしていたと思われがちです。
ですが、当時の歌妓がそうであった資料は見当たりませんので根拠はありません。
なぜか娼婦商売もしていたと断定する方を見かけますが、芸者の印象が強いせいでしょうか。

彼女が20歳の時に、譙(しょう)に戻っていた曹操の側室になります。
187年に曹操の三男、卞后にとっては長男の曹丕が産まれます。
192年に曹植を産み、187年から192年の間に曹彰が産まれることになります。
曹熊は病弱なため夭折したといわれますが、生没年は明らかになっておりません。

曹操の正室・丁夫人が曹操と離縁してからは卞后が正室となります。
他に妻がいなかったのか、妻の中で古株だったからか、正室となった理由はわかりません。
その後、卞后は自分の産んだ子以外にも、母のいない子供を養育します。
曹操から他の子も育てることを任されたのですから、育児能力に信頼があったようですね。

曹操が亡くなった後、曹丕が皇帝の位に上がります。
皇帝となった曹丕は曹操に武皇帝と追尊し、卞后にも太后の位が贈られました。

卞皇后と呼ばれたことはなく、一気に卞太后となったわけです。
その後、太和4年・230年に亡くなります。
彼女の死後、息子の中でただ一人生きていた曹植により、その死を悼む「卞太后誄」が書かれました。

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