趙昂の字の表記
趙昂の字は二通りあります。以下が正史『三國志』に載る記述です。
 『三國志』巻二十五楊阜傳裴注
魏略曰:阜少與同郡尹奉次曾、 趙昂偉章 俱發名,偉章、次曾與阜俱為涼州從事。
 同書裴注『列女傳』
趙昂妻異者,故益州刺史天水偉璋
「偉章」か「偉璋」かの些細な違いです。見ての通り字形が同じですから、どちらかが誤字でしょう。
人名を間違って書かれることは往々にしてあります。
例えば曹操の息子・曹彰が曹章と書かれた史書です。
977年に成立した『太平廣記』の1911巻、驍勇篇にて一貫して名を「章」と書かれました。
趙昂も同様に、本来の字の一部分を欠落した「偉章」の字が生まれたのではないでしょうか。

本当の字は
字の命名は、名と関連した漢字を用いる場合が多いです。
一般的方法を参考に趙昂の名と字を見比べると「璋」の漢字が最も相応しいでしょう。
「章」含め3つとも「明」の意味を持ちますが、用い方に違いがあります。
次の用例が「昂」と「璋」の関連性を示します。
『毛詩』大雅「顒顒卬卬(=昂昂).如圭如
北宋鄭侠(1041-1119)作『和李天与秀才』中句「圭貝璧矜顒」
南宋陳宓作『和陳中行校書』中句「圭更顒
「昂」と「章」では同じ文章中に使われる例を発見できませんでした。
その他、「昂」と「璋」がそれぞれ名と字に含む歴史人物が存在します。
彼は清の官吏・王璋、字を伯と言いました。またの字を顒伯とも記録されますが、この件は別の項目で取り扱います。
以上の記録から、趙昂の字は偉璋の可能性が高いと言えるでしょう。
これからは趙昂を偉璋と呼んであげてください。

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