王異は士異か
一説に王異の姓は「士」とも記録されました。
王異のその記述が以下の2点、どちらも南宋の胡三省(1230-1302)の注釈です。
 胡三省注『資治通鑑』卷第六十六
(馬)超取趙昂子月為質,〔質,音致。〕昂謂妻異曰:〔據皇甫謐列女傳,異,士氏女也 。〕「吾謀如是,事必萬全,當柰月何﹖」異弱゚應曰:「雪君父之大恥,喪元不足為重,〔喪,息浪翻。〕況一子哉!」
 『三國志集解』巻二十五
謐又載趙昂妻曰:趙昂妻異者,故益州刺史天水趙偉章妻,王氏女也。〔胡三省曰,據皇甫謐列女傳,異,士氏女也 。〕
この胡三省の記録は、あくまで皇甫謐の『列女伝』に則った記録として王異を士姓だと書きます。
『三國志集解』は胡三省の注ではない原文も『三國志』裴注と異なり、「趙偉璋」でなく「趙偉章」 になっています。『魏略』の趙昂の字ですね。
上記の記録により、ひょっとすると王異は本当は「士異」と呼ぶべきで、かつ趙昂も「偉章」の字が正しいように思われるかもしれません。
ところが胡三省より昔の南宋の史学家・蕭常は1188年に裴注ままの王異の記述を『続後漢書』に残しました
「故益州刺史天水趙偉璋妻王氏女也」と。
それゆえ、胡三省の記録が信頼に足るものか我々には判断がつきません。
誰かが写し間違ったり、写し間違った書籍を写したりしたのでしょう。
「王」と「士」は横棒一本の有無で漢字が変わりますから誤字の可能性は高いです。
どちらが正しいと断言はできませんが、多くの史書が王異の姓を「王」と記録するため、王異と呼ぶのが無難です。
ありふれた王姓では没個性的だと感じる方は士異と呼んだり作品中で名乗らせたりするといいでしょう。
士姓は珍しい姓ですからね。
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