※食事をしながらの閲覧をする場合、少々ご注意ください。
史書では女性の容姿について記述が残されにくいものです。
基本的に美人だと書かれる人は、美人の評判が立っていたことを運よく記録されたか、
美人であるがゆえに事件を起こした場合に限られます。醜女にしても同じことです。
それ以外は美人や醜女であっても、そうそう史書に書き残されません。
理由は単純、書く必要がないからです。
ですが、直接的な記述がなくとも容姿の推測をすることはできます。
王異に関しても容姿に関係する逸話があります。
正史三国志一を踏まえて述べていくため、これらを一読された上での閲覧を推奨します。


 西城の行動
王異の容姿が関係する話は、西城で起こった貞潔を守る逸話です。
王異は暴徒に乱暴されることなく生き延びるため、自分を醜く見せます。
史書の記述にはありませんが、装飾品を外したり粗末な服に着替えたりなどしたのでしょう。
その上で汚物を塗った布を身に着け、食事の量を減らして痩せ細り、己を醜くさせました。
この行動、どう思われるでしょう。
痩せこけようとするのは理解できます。
いくら美人の形容に「柳腰」があり、痩せ型を美しいとしていても度が過ぎれば好まれません。
それは痩身を美徳とする現代でも、重度の拒食症の方を見て「美しい」とは思えないことと同じです。
極度のダイエットは美人に見えなくさせるのに効果的なわけです。
もっとも、これは当時の王異が肥満体型でないからこそ通用する方法です。
太っている状態から痩せたら美しくなってしまいます。元々細身な人 だったのでしょう。
しかし汚物を使ってまで醜く見せようとする人は王異が初めてです。
なぜ彼女はそこまでする必要があったか、それを考えましょう。

 絶世の美女
王異は「西施も汚い恰好をすれば人は近寄らない」と言い、糞便のついた布を羽織りました。
この西施とは、ご存じな方も多いでしょう。
中国史上、楊貴妃と美女の双璧をなす女性です。
楊貴妃は三国志より後の人物ですから、当時は西施が中国最高の美女という認識だったと言えるでしょう。
そのような天下の美女でさえ、男から相手にされない方法を用いたのです。
その上で「自分は西施のような傾国の美女ではないから、きっと効果は絶大だ」と判断しました。
美女と名高い甄后や二喬なども、この手段を使えば決して求婚されなかったでしょう。
歴史が変わってしまいますね。それだけ汚物の効果は絶大なのです。

 醜女への道
名立たる美女も醜女に早変わりする、そんな手段を王異は選びました。
それは夫への貞節と幼い娘の趙英を守るため の行動です。
ですが、普通の女性がそこまでする必要はあったのでしょうか。
痩せこけて、みすぼらしい恰好をして、ほこりや垢まみれになれば、それだけで十分醜く見えます。
糞便まで利用する必要はありません。誰も好き好んで汚物を身近に置きたくはないはずです。
そこをわざわざ我慢したということは、相応の理由があるでしょう。

 醜い美女
端的に、王異が美人だった、ということで話はつくでしょう。
「自分は並みの容姿ではないので、生易しい方法ではダメだ」と感じた上での行動が妥当です。
そうすると「自分は西施に劣る」発言が上辺だけの謙遜だと思われるかもしれません。
しかし三国時代にどんな美女がいようと、当時の認識では皆西施に劣るのは当然であり真実です。
それは美女で有名な二喬であっても同じことです。
誰もが認める美女と己を比べる所に「自分も美女のはしくれだ」という自覚があったのかもしれません。
仮に王異が醜女だった時、ギャグになりかねない言動 です。
いわゆる月とスッポンの関係です。
大差あるものと比べること自体が愚かさの表れになります。
そもそも醜女ならここまでする意味がありません

 王異が醜女の場合
仮に王異がそのように現実を理解できない、バカな事を口走る醜女だったとしましょう。
すると今後の冀城と祁山での功績が不自然なものになります。
王異は弁舌をもって夫の行動を促し、敵方の女性から絶対の信頼を得ました。
趙昂からの厚い信頼は冀城より前の行いがあって成立します。
王異は常日頃から的確な言葉を述べる人だったのでしょう。
また馬超の妻の楊氏は西城の王異の行動を聞き知って面会したはずです。
王異の醜女工作も知っていた可能性が高いのです。
そこで評判の貞女が素で醜女であれば楊氏はどう思ったでしょう。
西城の行動はただのパフォーマンスだったんじゃないかと疑ったに違いありません。
好んで売名行為をする人が、敵に寝返った不義不忠の輩のままでいるとは思えないでしょう。
味方になったフリをしているだけだと疑われても当然です。
しかし、楊氏は王異を完全に信頼しきっていた 様子が記録されています。
楊氏の信頼に関しても、王異が醜女であった時に無理が生じるのです。

 総合的に見て   
美人と醜女の二択ならば美人一択です。
そうでなければ辻褄の合わない点が出てくるからです。
例えば美人の印象が強い卞后と鄒氏が醜女であった時よりも深刻です。
彼女たちが曹操に気に入られるには、容姿が悪くとも歌曲の腕前や弁舌の巧みさなどがきっかけになりうるでしょう。
王異が趙昂と楊氏の信頼を勝ち得るには、弁舌と人柄だけでなく容姿も関わってくるのです。
以上のことから王異は並み以上の容姿で、美人の可能性があるという事になります。
頭が回って戦えて見た目も良いなんて想像の世界の人みたいですね。
なお、中国史唯一正規の伝がある女将軍・秦良玉は三拍子揃った人物だったそうです。
出来すぎな女性だからこそ実力で名を残せるのかもしれません。

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