蔡琰は、蔡邕の娘です。名は琰、字は文姫ですが、昭姫とも呼ばれます。
蔡文姫の名称で親しまれますが、個人的な拘りから蔡琰と表記します。

蔡琰は博学で才気あふれ、弁舌さわやかの上、音楽にも精通
していました。
その多芸多才ぶりは、中国を代表する才女に選ばれるほどです。
その話はまた後日します。蔡琰は初め、河東郡(今の山西省)の衛仲道と結婚します。
その後、夫は亡くなり子供も居なかったため実家に戻ります。
興平年間(194-195)に戦乱の中で匈奴の騎兵に捕らわれ、匈奴に連れて行かれます。
異国にて左賢王・劉豹の妾となり、二人の子を産み育てました。
匈奴に住んで12年経つと、曹操により帰国します。
そして曹操のはからいで屯田都尉の董祀と結婚します。

ここで「なんで曹操と結婚しないの?」と思われる方が見受けられるので、改めて考察します。
また、曹操との問答や彼女の詩作品についても新たに項目を立てていきます。
当項目は簡単な経歴の紹介のみです。
物足りない方はちょっと図書館に行って『後漢書』の列女伝を見てみましょう。

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