−夏侯淵の亡弟−
父の記録ができないほど無名な夏侯一族、という人物は一人います。
それは夏侯淵の弟です。
記録は『三国志』夏侯淵伝の裴注『魏略』より、次の文章に登場します。
魏略曰時兗・豫大亂、(夏侯)淵以饑乏、棄其幼子、而活亡弟孤女
。
兗州と豫州が大混乱に陥った時、夏侯淵は食べ物に困窮し、自身の幼子を棄てて亡き弟の娘を生かした。
実の子を見捨ててまで弟の娘を救う、この行動理念は実に儒教的です。
儒教は血筋を重要視します。そして、その血脈がより貴い者を優先して残そうとします。
夏侯淵の血筋は、夏侯淵が生きている限りいくらでも増やせます。
一方、亡くなった弟の血筋は残された娘にのみ受け継がれています。
彼女が亡くなれば弟の血脈は断絶します。だから夏侯淵は自分の子より弟の娘を優先したのでしょう。
このような非情な判断は晋の名将・羊祜の母にも記録があります。
現代の感覚では理解しがたいでしょうが、当時は称賛された行為です。