かつて200年、夏侯覇の従妹は年齢が13,4の頃に本郡におり薪を取りに出かけたところ、張飛に捕まった。張飛は彼女が良家の娘だと知ると、妻にし、娘が産まれ、その娘は劉禅の皇后となった。
(おじの)夏侯淵が亡くなると、張飛の妻は夏侯淵の埋葬を請うた。夏侯覇の入蜀の際、劉禅は夏侯覇に向かって言った。「貴方の父の不幸は戦場で起きたもの、私の父が手にかけたわけではないぞ」
そして劉禅は自分の子を指さして言った。「この子は夏侯氏の甥だ」
(夏侯覇は)手厚く迎えられ爵位と恩寵を賜った。

『三国志』巻9魏志夏侯淵伝裴注『魏略』
初,建安五年,時霸從妹年十三四,在本郡,出行樵採,為張飛所得。飛知其良家女,遂以為妻,產息女,為劉禪皇后。故淵之初亡,飛妻請而葬之。及霸入蜀,禪與相見,釋之曰:「卿父自遇害於行間耳,非我先人之手刃也。」指其兒子以示之曰:「此夏侯氏之甥也。」厚加爵寵。

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