麋夫人は、麋竺の妹で劉備の妻です。出身はおそらく兄と同じ東海郡です。
正史では陳寿の記述に存在が見られ、麋竺の伝に少しだけ記載されています。

劉備と結婚する直前、麋竺は仕えていた陶謙の命令で劉備を迎え入れます。
建安元年(196年)に劉備は呂布の襲撃を受けた際、妻子を捕らわれます。
その時に兄の計らいで劉備の夫人となりました。
正史の記述はこれだけです。
三国志の中では有名な部類の女性ですが、正史での活躍は無いも同然です。
長坂にて我が子でない劉禅のために自害する話は記載されておりません。
ひとえに演義の脚色の影響で人気が出た人です。

いまいちパッとしない兄の麋竺の方が正史では目立っています。当然といえば当然ですが。
麋竺が麋夫人に加え、劉備に多大な資金援助をしたおかげで劉備からの信頼を得ます。
その地位は諸葛亮よりも上位にあり、非常に厚遇されていたことがわかります。
徐州に入る頃の劉備は私兵千人と烏丸族に属する騎兵と、飢えた民衆数千人を抱えてました。
徐州を治めた後も呂布に下ヒと家族を奪われ、救援物資が望めない状況になりました。
かなりの貧困に苦しむ時に、救いの手を出した人が麋竺です。
劉備にとって神さまのような存在に見えたことでしょう。

劉備が麋夫人を得て喜んだかどうかは正史に記載されておりません。
ただ、妻が殺されたかもしれないと危惧する状況では、新たな妻を得ることが心の支えになったのかもしれません。
現金な劉備は麋竺の出した軍事費ばかりに喜んでいましたが、麋夫人との結婚も喜ばしいことだったのでしょう。
これで劉備が「金と兵だけくれりゃーいいよ」と思っていたらヒジョーに下劣な男になりかねないので、そういう事にしておきましょう。

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11/1/11

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