黄氏とは、黄承彦の娘で諸葛亮の妻となった女性です。
演義では諸葛亮の息子が出陣する際に、取って付けたように紹介されます。
筆者は不自然さを感じましたが、これは古い演義にはない話だそうです。
今、我々が普段手に取れる演義は新しい方です。
後々確認し、考察します。

正史の注釈には、黄承彦が諸葛亮と自分の娘を縁付けたとあります。
そこでは黄承彦は以下のように諸葛亮に言いました。
「君は妻を探していると聞いた。私には醜い娘がおり、黄頭で肌が黒いのだが、
才知だけなら結婚できるほどだろう」
諸葛亮が結婚を承諾したので、黄承彦は即座に娘を車に乗せて送りました。
このことを人々は笑い、郷里ではことわざを作りました。
「孔明の嫁取りを真似してはいけない、阿承の醜女をもらうことになるぞ」と。

よほど醜女の評判が高かったのでしょう。
人々がこの結婚を笑ったのは、ただ醜女を貰ったことだけが原因ではない気がします。
今でこそ黄氏は天才的才女として人物像が作られていますが、当時はそんなことありません。
ただ黄承彦が賢いと言っただけで、本当に賢いのかわかりません。
人々の態度から、才女だという評判もなかったように感じられます。
黄承彦が言った言葉が本当か、諸葛亮は確認せずに結婚を承知しました。
自分に合う妻を探していた所を、熟慮せずに決めてしまったのです。
そのような慎重さのなさが、人々からあげつらわれる原因になったのではないでしょうか。
その後の黄氏の逸話は(史書において)出てきません。
彼女の聡明さのうかがえる話が一つも存在しないのです。
結局、黄承彦の口車に乗せられてしまった、という印象が拭えません。
もっとも、地元の名士との仲間入りを拒めなかった面もあるのですが。
権力に屈してしまうことも嘲笑の対象になりえるかもしれません。

世間ではかなり美化される黄氏ですが、筆者は現実主義者なので辛口コメントです。
気分を悪くされた方はすみません。


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