楊氏は、馬超の妻です。
馬超が蜀軍に参入する以前に亡くなります。
正史の記述は注釈の王異の伝にあります。

馬超が潼関戦で曹操に負けた後、再度曹操を攻めようとして涼州刺史の韋康を殺害し、冀城を乗っ取ります。
そこで馬超は韋康の部下たちを始末せず、むしろ自分の配下につけようとします。
その内の趙昂の息子を人質にとり、趙昂を味方にしたいと思っていましたが、いまだ信頼しきれずにいました。
そこで楊氏は趙昂の妻の王異と会談し、趙昂の気持ちを探ろうとします。
王異が節操と道義を重んじる人だと聞き及んでいた
ので、きっと正直な心情を打ち明けると考えたのでしょう。
王異の巧みな弁舌により、王異と趙昂は馬超に忠義を尽くすのだと楊氏は思いました。
楊氏はすっかり王異を気に入ってしまい、王異との交流を深めます。
その様子を馬超が見たのか、楊氏が伝えたのかわかりませんが、次第に馬超も趙昂を信じるようになり、韋康の元部下たちを信用しました。

その後、韋康の元部下たちの反乱が起こり、楊氏は馬超の留守中に子供もろとも殺害されます。
馬超自身も痛手を負い、漢中へ逃げのびて行きました。

楊氏と王異が会わなければ、このような悲惨な事態にはならなかったのかもしれません。
もしくは、楊氏が王異を凌ぐ知恵者であれば殺されることはなかったかもしれません。
そのせいでか、SLG三国志11では酷い能力に設定されていました。
しかし、あくまで相手が三国志一の女参謀だったに過ぎません。
楊氏自身は夫のため、自分から危険を顧みず敵との会談の場を設けたのです。
場合によっては、相手側が会談の機会を利用して楊氏を捕らえることもありえました。
いくら王異が信義に厚くとも、趙昂や他の韋康配下も同じとは限りません。
きっと自分が人質となる可能性も考慮していたはずです。
この行動力と胆力は並みの女性にはないものでしょう。
王異には劣るものの、彼女も賢夫人の一人であったと言えます。

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10/12/16up

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