張昭儀
昭儀は(再婚を迫られ)身を殺し夫の後を追った。昭儀は繁の張氏の娘で、広漢の朱叔賢の妻である。賢は郡の督郵となった。建安19年(219年)、劉主(劉備)が劉璋を成都に包囲した。賢は外敵に降伏する計画を立てたために処罰された。璋は昭儀を兵にめあわせようとした。再嫁を迫られるとき、昭儀は自殺した。三軍、すべて哀しみ嘆かぬものはなかった。

【華陽国志巻10之3】



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