陽姫
陽姫は父(の罪の赦し)を請い、その(父思いの様が貴人に評価されて姻戚となり)一族は(名門に連なる)援助を得た。(彼女は)調和を大切に、思い遣りあり、その教訓は優れた士人を育てた。
陽姫は武陽の人で、寒門の出身である。父が罪を犯し処罰され、入獄した。楊カンが初めて尚書郎となって、報告のため帰ってきた。郡県はこれを敬重した。姫は未婚であったが、道で渙の馬を引きとめ、父の罪を訴えた。告げる言葉は悲哀があり、嘆き哀しんだ。渙はこれを憐れんで郡県に告げた。これで(郡県は)父を出獄された。(渙は)姫の才を並々ならぬと思い、子の文方のために娶った。姫は大族と結婚し、二人の弟も仕官し、世々官吏に連なる家門となった。後に文方は漢中太守となった。趙宣を賢とし、孝廉に察挙しようとしたが、函封の書がまだ完成しないまま、(文方は)病で死去した。姫はこの(病死の)ことを秘して公表せず、まず孝廉申請の段取りをし終えて、そこで喪を発した。宣が進用を得たのは、姫の力である。後に文方の兄の子・楊伯邳が、司隷校尉となった。この時、姫の長子・楊潁伯は冀州刺史、仲子・楊頍(ヨウキ)は二千石となった。伯邳は茂材を挙げようと望み、候補が二人あった。伯邳は年老いたほうを用いようとしたが、その老いが過ぎているのに懸念があった。五方を挙げようとしたが幼すぎた。それで叔母に相談した。(陽姫は)方を挙げることを勧めた。後に趙宣は犍為(太守)となり、五方は広漢(太守)となった。姫は尚健在で、故吏はこれを敬い、季節ごとのご機嫌伺いの訪問をする者が絶えなかった。

【華陽国志巻10之8】



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