劉泰英
泰英は厳正で公明で、世々にその教訓を手本とした。泰英は南鄭の楊矩(拒)の妻で、大鴻臚である劉巨公の娘である。四男二女が有り、その後矩は死去し(て寡婦となっ)た。六人の子に教訓し、行動は規則を法とするように導いた。時に長子の元珍が外出して酔っぱらった。母は十日間彼に会わないでおき、そして言った、「私が居てこの体たらく、私が亡くなったらどのようにして大勢いる弟子達を導くのですか」と。元珍は額を(地に)叩いて過ちを詫びた。次子の仲珍は母に告げて客人を招きたいと頼んだ。やって来た人々の中には賢者に相応しい者が無く、母は怒って子を責めた。仲珍はそこで行いを改め、賢人と交友した。兄弟共に名士となり、泰英の教えは三代続いた。四子の子と官は、先人よりも高かった。このため、時人は「三苗が止んで、四珍が復起した。」と評判した。

【華陽国志巻10之10】



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