司馬敬司
敬司は人柄が麗しく、日頃は心穏やかであることを大切にし、晩年は奥ゆかしい配慮をした。敬司は司馬氏の娘で、五更の張(覇)伯饒の妻である。覇の前妻に三男一女がいた。敬司は一男を産んだ。五子を可愛がり、教え導いて、情愛に別け隔てが無かった。覇が卒し、河南に葬った。敬司は諸子とともに蜀に帰った。病気になり、言い遺して諸子に告げる、「舜は蒼梧に葬られたましたが、二人の妃は合葬されませんでした。お前たちの父は、梁に居(てそこで葬られ)ました。わたしは自ら蜀に居ます(から、蜀で葬られればよい)。各々の志ですから、わたしの遺言に違わぬようにしなさい」と。(子らはその遺志に従い)そのまま蜀に葬った。子の光超は、母教を授かり受けて、(後に)聘士となった。

【華陽国志巻10之3】



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