李文姫
文姫は(家の危機において)鋭敏に判断・対応し、家門の祭祀を絶やさぬ慶びを得る事が出来た。文姫は南鄭の趙伯英の妻で、大尉李固の娘である。父が梁冀に罷免され、兄憲公・季公も官を辞めて帰郷した。文姫は「李氏は滅びるであろう」と嘆いた。そこで二兄と話し合って、弟・燮(ショウ)を隠すため、父の門生であった王成に委ねて徐州に亡命させることにした。涙を出して泣き送り、成に言う。「貴方に幼い孤児の保護をお願いします。もし李氏が後継ぎを得ることになれば、貴方の名誉と道義はかの有名な程嬰・公孫杵臼に同等となるでしょう」と。
久しくして赦免され、燮は帰郷できて(処断された父兄の)葬儀を行なった。服喪が終わって(文姫は弟に)誡めて言う、「亡き父上は漢王朝の忠臣でした。このことはお亡くなりになっても、生きておいでの時と変わりはしません。(父のことを讒言した)梁冀は已に一族皆殺しとなりました。弟は幸いにも救われました。なんと天の配剤に依るものでしょう。慎んで一言も梁氏への評論をするようなことがあってはなりません。梁氏への評論は、そのまま天子に関連していきます(皇帝を侮辱することになります)。また災いを招くことになりましょう」と。燮は文姫の言葉を承り実行した。成に従って徐州に居た時は、各々居所を変えて賃労働きをし、密かに行き来した。成が病死した後、燮は四時にこれを祀った。

【華陽国志巻10之10】



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