袁夫人
袁術の死後〔1〕、その妻子は袁術の元部下の廬江太守・劉勲を頼って身を寄せていた。孫策が劉勲を破った際、袁術の家族を保護した。袁術の娘を孫権の後宮に入れ、袁術の息子の袁燿を郎中に任命し、袁燿の娘は孫権の子・孫奮の妻となった。【巻6袁術伝】

潘夫人は陰険な性分で、容姿の秀でた者な妬んだ。孫権に見出されてから亡くなる時まで、讒言により袁夫人らを害した。
『呉録』に言う。袁夫人は袁術の娘である。節義を重んじた行ないがあり、子はいなかった。孫権は側妾が産んだ子を夫人に養わせたが、いずれも夭折した。歩夫人が亡くなると孫権は皇后に立てようとしたが、袁夫人は自分に子がいないことを理由に、固く辞退した〔2〕【巻50・潘夫人伝】
〔1〕魏志袁術伝によると199年のこと。
〔2〕孫権が初めに皇后に望んだ歩夫人も(娘はあったが)子はいなかった。立后を拒まなかった歩夫人と比べ、節行があったのは確かだろう。

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