〔1〕従兄の夏侯覇は188年より前の生まれということになる。夏侯覇は『華陽国志』において255年に狄道の侵攻戦に参加したと記録があり、実に70歳を超えての北伐参加となるが、年齢に無理があるだろう。
〔2〕当時の情勢を鑑みるに、良家の子女が薪拾いに出かける行為は危険が多く不自然。本当に良家の出身だったか疑わしい。
〔3〕蜀志劉璿伝には、劉禅の嫡子の実母を敬哀皇后の元侍女・王貴人と記載。劉璿は238年に皇太子になり263年の蜀滅亡までその地位は変わらなかった。本来皇太子は皇后の実子または養子が就くものであり、皇后の子が太子に選ばれなかったということは、皇后に子はいなかったはずである。この記録もまた真実か疑わしい。