王異−2
建安年間(196年〜220年)、趙昂は参軍事に転任し、冀に移住した。そのとき馬超が冀城に攻撃をかけてきた〔1〕。王異は自ら弓を射るための布の籠手を身に着け、趙昂を助けて守備した。また身に着けていた環や刺繡の入った服などを外し、兵士の恩賞にあてた。馬超の攻撃は激しく、城内は飢えに苦しんだ〔2〕 。(涼州)刺史韋康はもともと慈悲深く、官吏や人民が傷つくのを哀れみ、馬超と講和しようとした。趙昂は(韋康を)諌めたが聞き入れられず、帰宅して王異に事情を説明した。すると王異はこう言った。「君主には諌める臣下があり、大夫には専断が認められます。専断をしてはいけないということはありません。救援の兵が関隴〔3〕に来ていないと、どうしてわかることができましょう。(きっと来るはずです)士卒たちを励まし戦功をおさめ、節義を全うして死ぬべきです。(降伏を)聞き入れてはなりません」と。趙昂が引き返すと、韋康はすでに馬超と講和していた。
馬超は約束を破って韋康を殺し、趙昂を脅して嫡男の趙月を人質として南鄭に差し出させた。(馬超は)趙昂を自分のために用いたいと思っていたが、まだ信用できなかった。馬超の妻の楊氏は(以前から)王異の節義ある行いを聞き及んでいた〔4〕ので、(王異を)一日会見に招いた。王異は計略をもって馬超に趙昂を信頼させようと思い、楊氏に言った。「昔、管仲〔5〕は斉に入って九州合併の功績を挙げ、由余〔6〕は秦に行き穆公の霸業を成功させました。今、社稷は安定したばかりで、治まるも乱れるも人材を得ることにかかっています。涼州の士馬こそが中原と矛先を争うことができるのです。熟慮しなくてはいけませんよ」と。楊氏はこの言葉に深く感激し、自分に忠義を尽くすものと思い、ついに王異との交わりを深めた。
趙昂が馬超の信頼を得て、功績をあげ災禍を免れられたのは、全く王異の力量のおかげである。
趙昂は楊阜らとともに馬超討伐の計画に及んだとき、王異に告げた。「我々の計画はこの通りだ、事は万全を期すものだが、趙月はどうしようか?」と。王異は声を荒げて答えた。「忠義を我が身に打ち立て、君父の多大な恥辱を雪ぐのに、(自分の)首が飛んでも大したことではありません。まして一人の子どもがなんだと言うのです?〔7〕そもそも項託〔8〕、顔淵〔9〕は百歳まで生きたでしょうか。義を貴ぶだけです。」と。
趙昂は「よし」〔10〕と言って、ついに(楊阜らと)共に城門を閉じて馬超を追い出した。馬超は漢中へ逃れ、張魯から兵を借りて引き返してきた。
王異はまた趙昂とともに祁山に立て篭もって守備し、馬超に包囲された。三十日経つと(夏侯淵の)援軍〔11〕が到着し、(包囲から)解放された。馬超はとうとう王異の息子の趙月を殺した。 およそ冀城の有事から祁山に至るまで、趙昂は九つの奇計を出したが、王異はすべて(の計略)に関わっていた。

【卷25楊阜伝裴注皇甫謐『列女伝』】

〔1〕楊阜伝では212年のこととするが、正しくは213年。
〔2〕楊阜伝には正月から8月の8か月間に渡る抗戦だったと記載。
〔3〕正しくは隴関か。夏侯淵伝によると、この時夏侯淵が援軍にかけつけようとしたが、到着する前に韋康が降伏してしまい、冀城から200里余り離れた場所で馬超軍の抵抗にあった。その為劣勢となり、現地の異民族の反乱も起きたので夏侯淵軍は撤退した。
〔4〕王異が西城の居た時のことか。
〔5〕春秋時代の斉の政治家。初めは斉の公子糾に仕え、公子小白(桓公)と争って負けたが、友人・鮑叔の進言により小白に登用されて斉に貢献した。
〔6〕春秋時代の秦の宰相。初めは戎国の臣下だったが戎王が自身の進言を聞かず、秦の穆公へ降った。由余は戎の情報を穆公に伝え、穆公が戎国を得るのに大いに貢献した。
〔7〕当時の後漢及び曹操の法令のもとでは人質を見捨てることが奨励されていた。夏侯惇伝によると、夏侯惇が呂布軍の捕虜となった時、部下の韓浩は呂布軍の要請に応じず攻撃を仕掛けた。韓浩は夏侯惇に向かって「国の法律を守るためには仕方がないのです」と泣いて謝り、呂布軍を討った。この事を聞いた曹操は韓浩の行動を称賛し、以後人質をとられても構わず攻撃するよう法令を発した。
〔8〕項橐の呼び名が一般的。7歳にして孔子に師匠として認められた神童だったが12歳の若さで亡くなる。
〔9〕孔子の愛弟子。顔回の呼び名が一般的。その才能を孔子から愛されたが、32歳の若さで亡くなる。
〔10〕演義では趙昂が子の身を案じて迷うのを妻が一喝する演出になっている。史書上は馬超に背く計画を万全に整えた上での会話であり、初めから趙昂は趙月を見捨てることに異論はなかっただろう。
〔11〕夏侯淵伝ではこの時馬超を追い払った援軍は張郃(チョウコウ)の軍。張郃が渭水に到着した時、馬超軍は張郃と戦うことなく逃げ去り、張郃は馬超の置いて行った兵器類を得た。

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