〔1〕同書楊阜傳裴注『魏略』には趙昂の字を偉章と記載。
〔2〕『資治通鑑』及び『三国志集解』中の胡三省の注釈では「士氏の女」と記載。また『伏羌縣志』列女志の侠婦篇及び『続後漢書』巻78では王異を趙偉璋の娘とする。
〔3〕中国四大美女の一人。越王勾践が呉王夫差を討つために送った傾城の美女。
〔4〕劉向『列女伝』巻4に記載のある貞女。貞姜ともいう。楚の昭王の夫人で、夫の留守中に川が氾濫し王の使者が迎えに来た。しかし使者は正式な王の使いの証である符を忘れたために迎えに応じず、そのまま溺死した。
〔5〕劉向『列女伝』巻4に記載のある貞女。宋の恭公の夫人。夫の没後、夜中に火事が起こり周囲の人々は避難するよう言ったが、正統な側近と伴って出かけねば婦人の義理にもとると答えて承諾せず、ついに焼け死んだ。
〔6〕自決しようとした際に所有していた刀は梁双の捕虜となった時に奪われたのだろう。
〔7〕偶然にしては出来すぎな感がある。妻の気性を知っていた趙昂が使者に持たせたのだろうか。