芮妃
孫権が子の孫登〔1〕のために淑媛(良い女性)を選ぶ際、群臣は芮玄(ゼイゲン)とその父・祉と兄・良が3代に渡って徳・義・文・武の名声があることを称賛した。そのため孫権は芮玄の娘を孫登の妃にした。〔2〕

【巻61・潘濬伝裴注『呉書』】

〔1〕呉主伝では孫登の没年を赤烏四年(241年)とし、孫登伝では享年を33とする。209年生まれであり妻候補も同年代だったか。
〔2〕程秉伝には黄武四年(225年)に、孫権が太子孫登のために周瑜の娘を妃(正室)にしたと記載。どちらの夫人が先に結婚したか不明だが、孫家は元々周家と親しかったので権勢を保つうえでは芮玄との縁組を優先するのが妥当か。  

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