丁夫人
建安年間の初め、丁夫人は離縁され、卞皇后が後妻となった。諸子のうち母のいないものは、太祖の命により后がすべて養った。

『魏略』にいう。太祖(の夫人)にははじめ丁夫人と劉夫人がおり、劉夫人が子脩(曹昂)と清河長公主を産んだ。劉氏は早死し、丁氏が子脩を養った。子脩が穰で亡くなると丁氏は常に(曹操に向かって)こう言った。「私の子を殺しておきながら平気な顔をしていらっしゃる」と。嘆き悲しむ様は節度がなかった。太祖は一度(丁氏を)実家に返し、気持ちが落ち着くのを願った。
のちに太祖が丁氏に会いに行くと、夫人は機織をしているところだった。外にいた人が伝えて言う、「(曹)公がおいでになりました」と。(しかし)夫人はとりもなおさず機織を続けた。太祖が(丁氏のもとに)到り、背中を撫でて言う、「こちらを向いてわしと一緒に帰ろう」と。夫人は振り返ることなく、また返答もしない。太祖は退き、戸外に立ってまた言う、「許してはくれないのかね」と。返答はなく、太祖は言う、「本当にお別れだ」と。ついに絶縁した。丁氏の家の者は復縁させたがったが、できなかった。
かつて丁夫人はすでに嫡妻であり、加えて(嫡男の)子脩がいたため、丁氏は卞后母子を真っ当に扱わなかった。后が継室となると、昔の(冷遇された)ことは気にかけず、太祖が出兵した時にいつも四季の変わり目に人を遣って贈り物をした。また私用で丁氏を迎えた時は、必ず丁氏を上座に座らせ后は下座についた。(丁氏)を迎え、送る時の(卞后の態度は)昔のままだった。丁氏が謝って言う、「離縁された者を、夫人はなぜ尽くせるのですか」と。
その後丁氏は亡くなり、后は太祖に埋葬を請い、許されたので、許都の城南に葬った。のちに太祖が病に苦しめられ、自ら病は癒えぬと思い、嘆いて言う、「私は今までの行ないになんの悔いもない。ただもし死後に霊魂があり、子脩が「私の母はどこにおられますか」と聞いたら、わしはなんと答えたらよいだろう」と。

【巻5・武宣卞皇后伝】


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