夏侯徽
景懐夏侯皇后は、諱を徽、字は媛容といい、沛国譙の人である。父の尚は魏の徵南大将軍。母は曹氏で、魏の徳陽鄉主である。后は典雅で見識と器量があり、景帝は事あるごとに相談した。魏の明帝の御代、宣帝(司馬懿)は最高位の将軍の地位におり、諸子はみな才能あふれ謀略に優れていた。后は景帝が魏に忠実な臣下でないことを知り、曹魏の一族である后と景帝は険悪な仲になった。青竜二年(234年)、ついに鴆毒を盛られて亡くなった。享年24.。峻平陵に葬られた。武帝(司馬炎)が即位するにあたり、初めは皇后の位を贈られなかった。弘訓太后(羊徽瑜)がいつも追号するよう進言していたため、泰始二年(266年)にやっと追号と諡を贈られた。后に男児はなく、五人の娘を産んだ。

【晋書巻31】



西晋列伝へ戻る

14/11/4up

inserted by FC2 system