柏夫人(桓夫人)
後年、(司馬懿は)柏夫人を寵愛し、宣穆后はお目通りを許されることが稀になった。【晋書巻31】

張夫人は梁王司馬肜を生み、柏夫人は趙王司馬倫を生んだ〔1〕
司馬倫は政治を輔し、司馬幹を衛将軍とした。恵帝が復帰するとまた侍中になり太保の位を与えられた。斉王司馬冏が趙王司馬倫を平らげると、宗族朝臣はみな牛と酒を持ち寄って司馬冏をねぎらったが、司馬幹だけは百銭を懐に持ち、司馬冏に会うと百銭を出して言った。「趙王が反乱を起こした時、あなたは義のために挙兵しました。これはあなたの功績です。いま百銭であなたを祝いましょう。しかし、まだすべてを解決できたわけではありません。慎まなくてはいけませんよ」と。司馬冏が政治を輔すと、司馬幹は司馬冏を訪ね、司馬冏は出迎えた。司馬幹が入室して寝台に座り、司馬冏を座らせずに言った。「あなたは白女〔2〕の子を真似してはいけません」と。白女の子とは趙王司馬倫を指していた。司馬冏が誅殺されるに及び、司馬幹は慟哭して側近に言った。「宗室は日増しに衰退し、この子(司馬冏の治政)が最も良かったのに、殺されてしまっては今後の行く末は危ういだろう」【晋書巻38】
〔1〕『世說新語』引く朱鳳『晋書』には「宣帝張夫人生梁孝王彤,字子徽,位至太宰。桓夫人生趙王倫,字子彝,位至相國」とあり、司馬倫の母の姓は桓である。
〔2〕司馬倫の母を指すか。白または白女が夫人の名前か。

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