趙媛姜
犍為郡の盛道の妻は、同郡〔1〕の趙氏の娘である。字は媛姜。建安五年(200年)、益州で混乱が起きた。道は人数を集めて挙兵したが、事は失敗した〔2〕。夫妻は捕えられ、まさに死罪になろうとしていた。媛姜は夜中に道へこう告げた。
「法律には定められた刑罰があり、私たちが生きる望みはないでしょう。あなたはただちにこっそり逃げて、家を興してください。私は牢獄に残り、あなたの代わりに咎めを受けます」
道はためらって従おうとしない。媛姜は速やかに夫の枷を外し食料と金を包んで持たせた。子の翔は当時五歳、道に手を引かせて逃がした。
媛姜は道に代わって一晩中騙し通し、見張りへの応答にしくじることはなかった。道が遠くまで逃げ延びた頃合いを見計り、ようやく役人に事実を告げ、即座に殺された。
道親子はのちに大赦令が出たため無事に帰ることができた。道は妻の義侠に感じ入り、生涯妻を娶らなかった。

【巻84・盛道妻伝】

〔1〕『華陽国志』巻10之10には(犍為郡)資中の人と記載。
〔2〕董承らによる曹操討伐か。

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