趙阿
沛郡の周郁の妻は、同郡の趙孝の娘である。字は阿。幼いころから躾がよく、妻としての素養も十分であったが、夫の郁は浮気で軽率、行儀が悪かった。郁の父の周偉が阿にこう言った。
「そなたは賢者の娘。道に倣って夫の素行を直して当然だ。郁の行儀が改まらぬのはそなたが悪い」
阿は頭を下げて義父の叱りを受けた。引き下がって左右の者にこう言う。
「私には樊姫(楚の荘王の妻、肉食を断って王の狩猟狂いを諌めた)・衛姫(斉の桓公の妻、公の音楽狂いを諌めた)のような人徳がない。それでお義父さまは私をお叱りになる。私が旦那さまを諌めて聞き入れられなかったら、お義父さまはきっと私のことを言い付けの聞かない嫁とお思いになる。そうすれば私が悪いことになる。もし諌めて聞き入れられたら、旦那さまは子として父のいうことは聞かず、嫁の言いなりになる人間ということになる。そうすれば旦那さまが悪いことになる。こんな風で生きていても、何のかいもない」と。
ついに趙阿は自殺した。憐れまない人はなかった。

【巻84・周郁妻伝】



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