世間では張春華を紹介する時、常に持ち出される逸話があります。
それは司馬懿が曹操の出仕命令を断っていた時の話です。
司馬懿が仮病を使って出仕を拒否し、仮病であることを周囲に知られないように張春華が工作する、といった流れです。
いわゆる下女殺しの逸話です。
ですが、この話を考えると張春華の年齢に無理が生じるのです。
理由について述べていきます。長くなるので小見出しをつけます。



  -事件発生時-
まずは曹操の出仕要請について、司馬懿の紀を見てみましょう。
晋書には曹操の出仕命令があった年は201年 だと記録されています。
この時は司馬懿が病気を理由に断ります。
曹操の使者が司馬懿の病状を確かめた際、見事に病気で押し通しました。
これが演技だったか、本当に病気だったかは定かではありません。


その後、曹操が丞相となった時に司馬懿は強制連行されます。
曹操が丞相となった年は諸説あるようですが、陳寿の記述では208年 の事だとされています。
その間に出仕命令があったのかわかりません。
晋書の記述を見る限り、曹操の命令は2回だけ です。
2回目は曹操が使者に対し「有無を言わさず連れてくるように」と命令していますから、張春華の話はこの時ではないでしょう。
どんな口実を作ろうと連れて行かれるので、もはや小手先の偽装工作では通用しません。
となると、仮病工作の話は201年 の事となります。


  -未成年の結婚-
しかし、下女殺しが本当にあったことだとする場合は張春華の年齢が不自然です。
彼女は189年の生まれだとされています。201年の時は13歳、未成年 です。
通常、この時代の女性は15歳で成人した後で結婚が可能 になります。(皇族は例外)
15歳未満で結婚する女性もいますが、それには特殊な条件があります。
筆者は以下の三つの条件のいずれかに該当する必要があると考えています。持論ですので確証はありません。

@女性側の身分や家柄が男性側より格上。
A庇護者(父)を失った女性が男性と結婚して保護を得る。
B15歳でなくとも結婚できる土地の人。


@は張飛の妻とされる夏侯氏の話です。彼女は13,14歳で結婚したと魏略に載っています。
彼女の存在はかなり疑わしいものですが、だからこそ言えることでもあります。
平民出の男が良家の娘を貰うなら、女性側が未成年でも良いと見做されていたことが窺えます。
Aは未成年であったかわかりませんが、劉備の正室の穆皇后が該当します。
彼女は早くに父親をなくし、亡き父と親しかった劉焉を頼ります。
後に人相見から高貴になると予見され、それを聞いた劉焉により劉焉の息子と結婚させられます。
この時、穆后が未成年で結婚していても不自然ではありません。
劉焉は我が子が高貴な身分となるために穆后を求めました。
他の男に取られないうちに確保していてもおかしくない事です。
また穆后とその家族にとっては、劉焉の確固たる援助を得る絶好のチャンスです。
互いの利益を追求した結果、名ばかりの幼い夫婦が誕生した可能性があります。
Bは陸績の娘・陸鬱生の話です。彼女は13歳で張温の弟・張白と結婚します。
陸氏は名家ではありますが、嫁ぎ先は呉の四姓の張氏ですから、@の要素は薄いと思われます。
彼女が呉の国の人であることから、結婚可能年齢が通常より低い土地だったと見てよいでしょう。
当時の呉は魏よりも文化レベルの低い土地です。
都の風習や常識が通用する場所ではなかったのでしょう。

長々と述べましたが、結局張春華はどれにも該当しません。
@は確実にありえません。
司馬懿は超一流の名門の人で、張春華はただの役人の娘です。
Aは記録がありません。 これも考えにくいことです。
もし結婚時に父が亡くなれば張春華は平民に成り下がり、司馬懿と結婚することはなかったでしょう。
司馬家側のメリットが一つも見当たりません。
Bは100%可能性がありません。
魏の土地の出身で、首都洛陽にも近い所で生まれ育っています。


  -結論-
詰まる所、この逸話は「ありえない」の一言で済んでしまいます。
そもそも身分の低い女性が身分の高い男性に嫁ぐ場合、未成年どころか成人したばかりでも結婚しない と思われます。
教育の行き届いていない娘が何かをしでかせば、最悪その親の首が飛ぶ可能性があります。
司馬家は歴史ある名門ですし、司馬懿の父・司馬防は非常に厳格だったことで有名です。
嫁いだ娘が不祥事を起こした際、厳重な処分が下されることは予想できます。
そうならないよう、親は念入りに娘を教育してしかるべきなのです。
実際、張春華は20歳の時に長子を産んでいます。
司馬懿と結婚した時は17〜19歳 ほどであったと見てよいでしょう。
端的に言うと、下女殺しの話は9割方ウソです。
夫との喧嘩しか話が残っていないようでは、皇后として相応しくないと判断されたのでしょうか。
編纂者が時代考証せずに適当に載せたものでしょう。
これを書いた人自身、当時の張春華が未成年になるとは思っていなさそうです。
別段このようなデタラメな話が存在する事は変でなく、辻褄の合わない話は結構残っています。
例えば「○○は××の生まれ変わりだ」といった逸話があります。
その時に両者の生没年を見ると、完全に可能性のない話だとわかる場合もあります。
つまり、○○が死ぬ前に××が産まれていたのです。
張春華の下女殺しの話にしても、全く根拠のない噂の一つだったのでしょう。
問題は、そんな信憑性のない話を正史に堂々と載せていいのか、ということです。
この辺りは晋書が信頼できない正史だと酷評される要因でもあります。
この逸話を好む人にはお気の毒ですが、眉唾物としか言えません。
また別の意味でもこの話が歴史書に残ることは妙な事です。
それはまた他の項目にて考察しようと思います。

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